福島をずっと見てほしいブログ

2013年

6月

12日

VOL.34 もうすぐ2年

福島リアルを結成してもうすぐ2年が経とうとしています。

 

またまた新しい出会いがたくさんありました。

いろいろな繋がりからイベントなど声をかけていただけるようになったり、

1年目同様、感謝感謝の1年でした。

 

いまいちよくわからないと言われ続ける福島リアルですが(汗)、

東京ツアーで全国からたくさんの福島を想う仲間が集まった時、

たくさんの可能性を秘めているなぁと感じました。

 

そういえば、結成して初めてのミーティング終了後、カメラマンに

『福島リアルの活動を通して自分も成長していきたい』

と言ってはみたけど、この2年で私は成長してるかな?

たくさんの事を感じ経験させてもらって、成長してなかったら恥ずかしいな。。。

なんて思いつつ、これからも日々の生活の中で自分たちで出来ることを、無理せず気負わずやっていけたらと思います。

 

そして去年の2年目を迎えた翌日6月17日に郡山でライブをした怒髪天が、明日ライブツアーで再び郡山にやってきます。

福島をずっと見ているTVの怒髪天の回に出演していた、怒髪天の歌に元気づけられながら子供たちのために除染活動を続けるオヤジ達。東京ツアーに参加してくれた怒髪ファン。

去年もたくさんの友達が参戦しましたが、明日この1年で出会ったとみんなと会えるのがとても楽しみです。

 

福島リアル あきえ

 

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2013年

6月

12日

Vol.33 LIVE福島@東京さ行くべwith福島リアル参加者からのメッセージ

風とロック LIVE福島 CARAVAN日本の東京公演に参戦するためバスツアーを企画し、立ち上げから当日までのドキュメント映像を作成しました。

そしてこの映像をご覧になった参加者さんから嬉しいメッセージをいただきました。

実行委員だけでとどめておくのはもったいない素敵なメッセージでしたので、ご本人の許可を得て掲載させていただきます。

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2013年

6月

06日

Vol.32 福島を離れてから一年

福島を離れてから一年。

久しぶりにブログを書いてみようと思います。

 

なぜ久しぶりになってしまったかと言うと・・・なにも見つけられなかったからです。

「距離が変わることに慣れるまでに少し時間がかかるかもしれないけど、

そこから見えてくることから出来る事を、また考え出したい」

福島を離れる際、こんなことをブログに綴っていました。

http://bit.ly/11GVaVv

 

だけど都会の人混みの中で見えるものなんて自分を無力な思いにさせるだけで

小さな自分が感じることは、残してきたものへの罪悪感だけになっていました。

 

街を行きかう人たちは自分を着飾ることや美味しいもの、楽しいことにしか興味がないように思えて、

毎日の通勤電車では、自分を守ることで精一杯みたいな戦いがあって、

震災の経験を未来に活かそうみたいなものは幻想なんじゃないかと、

自分も長いものに巻かれていくようなそんな感じになっていました。

 

遠くを見過ぎていたのかもしれません。

そんな時、妊娠していることがわかりました。

福島を離れてから4か月が経った頃でした。

その時は妊娠したっていう実感よりも、私のお腹でちゃんと

赤ちゃんは育ってくれるのかという不安の方が大きかったです。

でも、病院でエコーを見せてもらったり、心音を聞かせてもらったりするうちに、

だんだん自分の身体に命が宿っているんだという喜びを感じられるようになりました。

 

それから10か月、いま私の腕の中には可愛い女の子がいます。

震災の時は1人だったけど、去年2人になって、今年は3人になりました。

 

守るものが出来て、今はそれだけのために生きている日々ですが、

この子が大きくなって出歩けるようになったら、

一緒に福島に足を運びたいと思います。

そして、私の好きな場所をたくさん教えたいです。

福島の友達にも会わせたいです。 

 

この子が二十歳になる頃には、震災から23年。

何かを学んだ未来がそこにはあるのだろうか。

 

集められた放射性廃棄物はどこかに置き場が決まって静かに眠っているかな。

40年かかると言われている原子力発電所の廃炉作業はどう進んでいるだろう。

 

自分たちの手じゃどうにもできないことは、ただただ見守ることしかできないけど、

今回の出来事を通して、私はわが子に何を教えられるだろうと考えながら、

この子の成長を楽しみつつ育てていきたいと思います。

 

小川妙子

 

 

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2012年

10月

29日

Vol.31 みんなの声

新しいチラシを作成するにあたり、皆さんに募集したコメントや福島リアルの活動に参加した感想など、たくさんお寄せいただきありがとうございました。

 

ちょっと疲れたとき、辛くなったとき、みんなのコメントを読むだけで前に進める気がします。

 

全てを載せる事はできませんでしたので、こちらで紹介させていただきます。

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2012年

9月

02日

Vol.30 よーこの「福島リアル」な日々

福島リアルのメンバーといっても、やれることはみんなそれぞれ。

ゴミ拾いやコミュニティに参加してくれる人。

音楽で福島を元気にしている人。

ユースト配信で福島の日常を届けてる人。

福島に何度も足を運んでる人。

Twitterでいつも福島の情報を届けてくれる人。

 

そんな人たちの中で、今日はほそぼそとだけど、

ブログを書いてくれている人がいます。

 

今日はその方の2012.6.29のブログを紹介します。

 

このブログは2012.6.22からスタートしています。

良かったらそちらも合わせてご覧ください。

http://ameblo.jp/yo-kororo/day-20120622.html

 

福島をずっと見てほしいブログVol.30「よーこの"福島リアル"な日々」

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私にとっての「福島リアル」

…それは、震災後のたくさんの涙や不安を乗り越えるための道しるべでした。

 

福島が好き。

福島で生きていきたい。

でも、大丈夫なの?

子供がまだ小さいから…どうすればいいんだろう。

 

これからどうやって、どこで生きていけばいいのか。

前向きになんかなれていなくて…どっちが前なのかもわからなかった。

そんな私を受け入れてくれた「福島リアル」

私の命を支えてくれた「福島リアル」

 

そして、

「こんな私にも、何かできること、あるだろうか」と、

一歩を踏み出す勇気をくれた「福島リアル」

 

一人ひとりの想いは、決してちっぽけなんかじゃないと

思わせてくれた「福島リアル」

 

いまの私はまだ、福島リアルのみんなと一緒の活動には参加できていないけれど、

いまの自分にできることを、少しずつでもやっていけたらいいな…

 

…そんなたくさんの想いが、このブログタイトル

「よーこの“福島リアル”な日々」には込められています。

 

ブログという形は、実は私が初めて福島リアルのコミュニティに参加した時、

みんなと語り合いながら思いついたことでもありました。

今こうしてブログが出来上がったことは、

私にとっての“福島リアル”の本当の始まりなのかも知れません。

 

最後に、私がmixiに日記を書き始めた日に、

当時の福島リアル代表・セキネさん宛に送ったメールの一節を、

ここに載せておきたいと思います。

 

「私なりの“福島リアル”、今から始めてみようと思います!

できることから。少しずつ…。」

 
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時間をかけて少しずつでもいいので、このブログから、
あるひとつの"福島"を感じ取ってもらえたら幸いです。
 
外部ページ
 
 
 

2012年

7月

31日

Vol.29 福島リアルと怒髪天と私~あきえのブログ~

去年の6月5日。

震災前から大好きだった怒髪天の郡山HIP SHOTでのライブに行きました。

震災以降初めての福島県でのライブは、いつもの楽しいだけのライブではなかった。

 

『本気で心配したぞ』

『震災以降、音楽なんて何の役にも立たないと思ってバンド辞めようかとも思った。

でも、ライブをすることによって、悲しみを消す事はできないけど、

楽しい思い出を1つ増やしてあげる事はできる。

俺たちがお楽しみ係になるから』

 

ボーカル増子さんはMCでこんなことを言ってくれました。

 

そしてこの日の4人の本気度はものすごかった。

いつも本気の熱いライブなんだけど、今まで見た怒髪天のライブ以上のものを

私たちに見せてくれ、想いを手渡してくれた。

こんなにも福島を、東北を想い、寄り添ってくれている怒髪天を

好きで良かったと心の底から思いました。

 

そして2011年6月16日。

私たちは箭内さんに出会い、福島リアルを結成した。

お店を出たら、こんなものを発見。

 

 

 

 

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2012年

6月

17日

月イチふくしま旅vol.3 南相馬市

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2012年

6月

12日

メンバー二人が始めたそれぞれの一歩

福島をずっと見てほしい。そんなブログ【Vol.28】

 

二人のメンバーが始めた「それぞれの一歩」

 

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「福島をどうしたいか話し合って俺に教えてよ」

そんなきっかけでスタートした福島リアル。

今日であの日からちょうど一年になります。

 

それまで私たちの開いたコミュニティやイベントを通して、

沢山の人との出会いがありました。

 

立場は違ってもどこか共通した思いがあって、

ともに福島について考えたくさん語り合いをしてきました。

 

その中であるメンバー二人が送ってくれたメッセージを紹介します。

 

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福島リアルにお世話になってから約9か月。
最近コミュニティにも顔を出せてないし、活動にもなかなか協力できていないので、

ここらで少し近況を報告しますm(_ _)m


今年に入ってから、税理士資格取得のための通信講座を始めました。
今勤めてる会社でも不自由はないけど、ゆくゆくは手に職つけて自立したいなと思ってて。

いざ勉強を始めてみると、取った講座が短期集中コースだったこともあって予想以上にハード!!
働きながらなので、平日は2~3時間。土日は9~10時間を勉強時間に充ててます。
それでも定期テストの成績は平均点以下でなかなか伸びず…。
税理士は合計5科目合格が必要な資格で、今年は2科目合格を目指してますが、なかなか厳しい…(;^^
それでも何とかあきらめずに頑張ってみようと思います。


福島の人たちといっしょに考えて、話し合って、何か行動したいと思って福島リアルに参加した。
今思えば、突如身近で起きた大災害に向き合うことをきっかけにして、

自分自身に何か転機をもたらそうとしてたのかも知れない。


福島リアルに関わってから数か月経った年明け早々、この先ずっと勉強に追われる覚悟で、

(自分にとっては)大金を支払っての資格取得を決断できたのも、

それぞれに熱い思いを持った人たちが集まったこのコミュニティに出会えたことが、
少なからず影響しているはず。


もともとのんびりした性格なのでなかなかスケジュール通りに学習を進められず、

常に勉強に追われているせいで福島に行くのもしばらくは難しいかと思いますが、

テレビやユースト、ネットを通じて活動状況を逐一チェックするようにしているので、

遠くでもできることがあればやっていきたいと思います。

 

                              「某山形市民」 

 

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「福島リアル」へ参加したことにより、今まで以上に「人のために何ができるのか?」

と考えていました。

 

今年の年明けから、そんな問題を悶々としながら過ごし、考えていましたが、結果、

3月より「行政書士」試験の学習をスタートさせています。

 

簡単にいえば、この原発問題や地震の賠償問題などを、行政と直接やり取りをするの

では色々煩雑なことや、分かりづらいと考えている人たちの手助けをしてあげると言えば

分かりやすいでしょうか?

 

試験は毎年11月第2週の日曜日に決まっていて、今年は、11月11日です。

原稿依頼日の今日(6月15日現在)時点で、試験まで149日。約5カ月です。

「国家資格」であるため、レベル・ハードルはかなり高いです。

 

それでなくとも、仕事、プライベート…も、ありつつ、ハードだよ~(苦笑)と

思いながらもこなしています。 平日は仕事終わりに通学制の講座で。土日はほとんど

通学はやっていませんが、復習は怠らずに。行き帰りが車なので、CDに音声データを

焼いて、聞きながら運転もしています。

 

勉強は大変ですが、学ぶことにより色々と分かってきたことがあり、今は面白いと

感じています。トシを重ねたことにより、記憶が定着するのも少し時間がかかって

いますが…。

 

「福島リアル」へ関わるようになってから、目に見えない芯の熱い人が数多く

いたことで、自分の気持ちも目覚めさせていただきました。

これからもそっと見守りつつ、出来る範囲で関わっていきたいと思っていますので、

見捨てないでください(笑)

 

まさに、ピンチャンですが、(自分に)負けないようにやり続けます!

 

                             「ピンチャン」

 

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あの事故はどうにもできない悔しい出来事だけど、

苦しい状況にあってそれぞれの生き方を見つめ直した時期だからこそ、

いろんなものに気づける時でもありました。

 

これからもいろいろな声や思いを届けて行きたいと思います。

よろしくお願いします。

                      by tomodachinoki

 

2012年

5月

21日

vol27. 絆 ~福島リアルとの出会い~

絆 ~福島リアルとの出会い~

 

あれからどのくらい時間がたったのだろう

季節は移り変わる 何も変わらずに

どんなときだって弱音見せない君の強さは知っているけど くじけそうなら

あー 泣きたいとき そんな時には言葉なんていらないから 泣いたらいい

つながる絆 ここにあるから その思い 僕にぶつけてくれればいいから

 

これから僕らで築いていかなきゃ

君の悲しみを 分け合えたら 流した涙の後には きっと希望がみえる

あー 不安なとき そんな時には ためらわず 僕の事 頼っておいで

繋いだ手と手 確かめ合って 寄り添って 君の歩幅で歩んでいくから

 

君の悲しみを 分け合えたら 流した涙の後には きっと希望がみえる

あー 泣きたいとき そんな時には その思い 僕が受け止めるから

つながる絆 確かめ合って 寄り添って 君の歩幅で歩んでいくから

 

HIROSHI TAMAKI  albumSTART」より ー 絆 ー


 

 

思いも掛けないところから、最近、色々な出会いがあったなぁ~と思うことがありました。

 

1年半前にはじめたTwitter。

そこで出会ったたくさんのツイ友さん。

「お仕事、行ってきます。」とつぶやけば、「行ってらっしゃい」と返してくれる、

地震があれば「大丈夫?」とつぶやいてくれる、

身近にいる家族より心配してくれるとても素敵なツイ友さん達です。

 

そんな中に、ある洋服屋さんの店員さんがいました。

その店員さんも福島出身の方です。

お店に伺ったとき、いろんなお話をしている中で放射線の事とか家族の事とか初対面なのにTwitterの相談まできいていただきました。

 

その頃の私は、Twitterに原発の事や震災の事はあまりつぶやくのを控えていました。

Twitterをはじめた切っ掛けが、好きな芸能人の情報交換をできればいいと思ってはじめたから、そんな中で、原発や震災の事をつぶやくのはちょっと暗くなっちゃうし、なんか違うなと思っていたからです。

 

でも、そのことを店員さんに話したら「でも、そういう事(原発や震災の事)つぶやいてもいいと思いますよ。そういうFanがいたっていいじゃないですか(^^)」と言ってくれたのです。

野球の練習で、砂まみれになった息子のユニフォーム、「洗濯している所、除染中って載せてもいいんじゃないんですかね。」なんてアドバイスまで(笑)

そしてLIVE福島の話にもなったんです。

箭内さんのお話、サンボマスター山口さんのお話・・・。

I love you & I need you ふくしま』の歌は好きだったし、LIVE福島もYouTubeで見たりしてましたので、

私も猪苗代湖ズは知っていましたし、LIVE福島の事も知っていました。

そして「福島リアル」の話も・・・。

そんな番組をやっているなんて、店員さんに教えてもらうまで知りませんでした。


「福島リアル」の番組から、いろいろな方とTwitterでツイ友になり、今ではustream「福友ch」も楽しく視聴しています。

その中で、色々ホンネで話してつぶやける所がよくて・・・原発の事とか、自分と同じ考えを持っている人もいるんだと知ることが出来たし、避難したいのにできない人、避難したくないのにしなくてはいけない人、様々な思いをもっている人がいることもこの番組を通じて知りました。

 

私の大好きな歌の歌詞に

「君の悲しみを 分け合えたら 流した涙の後には きっと希望がみえる

あー 泣きたいとき そんな時には その思い 僕が受け止めるから

つながる絆 確かめ合って 寄り添って 君の歩幅で歩んでいくから」

という歌詞があります。

泣きたいとき、そんな時には その思い 僕が受け止めるから・・・

今、考えてみると、

私にとって受け止めてくれる場所は、「福島リアル」だったかもしれません。

 

「そういうFanもいたっていいじゃないですか(^^)

店員さんのこの言葉は、今でも心に残っています。店員さんのこの言葉がなければ、ここに書くことも無かったと思います。

店員さんから教えてもらった「福島リアル」、私も今の福島リアルを少しでも伝えられたらいいなと思っています。

 

そしてこの出会いも、つながっていく絆も大切にしていきたいです。

 

wrote by まーちゃん

2012年

5月

13日

月イチふくしま旅vol.2 福島リアル 石川町でお花見

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2012年

4月

09日

Vol.26「いろいろな形で関わりを持ってくれた皆さまへ」

福島をずっと見てほしい。そんなブログ。

「いろいろな形で関わりを持ってくれた皆さまへ」


 福島リアルを始めて、そしてこれから。

   

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震災から約3ヶ月目のある出会いから始まったたくさんの出来事。


福島リアルはほんの些細な出来事からスタートしたことだったけど、

きっかけがテレビ番組だったこと、

未曽有の大震災、そして原発事故を受けたことで、

みんなが普通じゃない状況で始まったこと、

名前に福島とついていること、

そんなものに勝手に大きなプレッシャーを感じて、

振り返ればただただ必死にやってきた10か月でした。


それを通して得たものは大きかった。


やればできるという自信につながった部分も少しはあったけど、

それ以上に何かをやることの大変さ、

これでよかったのかという思いのほうが大きくて、

何かを始めることがどういうことなのか身をもってわかった気がします。


ただ、福島は何も終わっていないし、何も片付いていない。


そんな中で、自分たちが始めたことに関わりを持って下さった

たくさんの方々に、今回のようなテレビでのご報告を

まず、お詫び申し上げます。


自分は少し、いろんな意味で自分の結婚を半ば諦めているところがありました。

それでもいいという覚悟もありました。

その覚悟を寂しく受け止めていました。

個人的な心情を話すと、そういう思いの中で始まった

福島リアルでもありました。


そんな中で出会うことのできたカメラマンの小川さん。

実は、小川さんに最初に聞いた質問は

「福島の女性って他県の人から見てどうですか?」というものでした。


あの頃、なんとなくもう福島の女性は…。

っていう漠然とした不安があって、

どうしても聞いてみたかったことでした。


その時答えてくれた言葉が、自分の気持ちを少し軽くしてくれて、

いろいろ相談できる人になっていったように思います。


「自分は福島のために何かしたくて、

ずっとこうしてカメラを回しているけど、

結局何もできない無力感があって。

そんな中でもし、福島の女性を一人幸せにすることができるんだったら

そういう人が現れたら、自分も福島の家族になれるし、

カメラを向ける気持ちも変われる気がする。」


まさか本当にこうなるとは思ってなかったけど、

時には「東京の人にはわからないよ」と当たったこともあった自分を、

ここまで支え続けてくれ、本当に大切な人になっていきました。


これからは、自分が福島を離れて、

彼のほうが福島に多くいることになるだろうと思います。


まだまだこれから。


これからの福島をずっとずっと撮り続けて

多くのことを教えてほしい。


たくさんの人に届けてほしい。


そして私も、距離が変わることに慣れるまでに

少し時間がかかるかもしれないけど、

そこから見えてくることから出来る事を、また考え出したいです。


今までの出会いを大切にしながら。


今後とも、どうかよろしくお願いします。


            201249日 関根妙子

 


 

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2012年

4月

01日

月イチふくしま旅vol.1 Fuku×Fuku Girls Cafe

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2012年

4月

01日

Vol.25 「月イチふくしま旅」

みなさんこんにちは。

 

以前、福島リアルの「福島をずっとみてほしい」ブログで

こんな記事を書かせていただいたことがあるものです。

 
Vol.10「来年も再来年も10年後も20年後も」

 

3月、福島県内最大の避難所に2週間程、働きに通った後も、いくつかの支援活動をしました。

 

「福島のために何かしたい。」そう思ってました。

 

でも結局、何をしても、どう頑張っても、私が「誰かのために役立てた」ことなんて、

何一つないような気がして。

 

逆に、そこで出会った人々や出来事に支えられ、救われているのは、他でもないこの私だ。

そう思わされる出来事ばかりでした。

 

そして、続けると誓った支援活動も、夏にはやめてしまいました。

 

自分の役目は、私の家族や友人といっぱい関わる事。

自分の周りの人を大切にする事だと考えが変わりました。

 

たくさんの人と出会い、新しい仕事に就き、楽しい時間をたくさん過ごしました。

 

 

でも反面、これでいいのかとずっと自問自答していました。

 

「私になにができるんだろう。なにをすべきなんだろう」

そう思っても、納得できる答えが出せずにいました。

 

福島を離れ、仙台での新しい生活に慣れた頃、なにをすべきかではなく、

「何がしたいか。」そんなふうに考えられるようになりました。

 

私は、福島に会いたい。

Face to Face で、自分のお金を遣いたい。

 

「福島に毎月、旅をしに行こう」

 

福島で働いている、あなたに会いたい。

 

福島の笑顔に会いたい。

 

辛い気持ちと戦ってるなら余計に会いたい。

消したり、分けたり、できないかもしれないけど、話したい。

 

「ただいま」と家に帰れる幸せを感じて、

「また会おうね」と約束したい。

 

明日がいいものだと信じられる強さを分け合いたい。

 

あの日まで、福島の事なんて知らなかったあなたへ伝えたい。

 

福島に会いにきてくれませんか。 

1年に1回でも、10年に1回でも、人生で1回だけでもいい。

福島に、あなたの生きる時間を少し、分けてくれませんか?

 

福島に遊びにきてほしいと思うのは、間違いですか?

 

福島で産まれた訳でも、友達がいるわけでもないのに、

福島を想ってくれる人に、私はたくさん出会えました。

 

でも出会えてない人もいっぱいいます。

だから、会いにきてほしい。

それは、福島のみんなにとって大きな勇気になります。

 

そのためにもできること。

 

私の旅の予算は、毎月1万円です。

これで毎月、仙台から、福島の色んな場所に、人に会いに行きます。

 

そしてこのブログでご報告します。

 

支援活動でもなければ、社会貢献でもない、ただの遊びです。

 

 

でも、福島に住む福島人も、福島から離れて暮らす福島人も、福島に縁もゆかりも無い人にも、

「福島が好き」と伝わるような、

「福島行きたいな」と思ってもらえるような、

そんな景色を、人を、お届けできればと思います。

 

関根真奈美

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2012年

3月

25日

Vol.24 「ここにしかない桜を見上げて。」

Sakura Project

『あきえのブログ』からのご紹介です♪

 

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3月22日。東京へ行ってきました。

 

目的は有楽町ルミネで開催されている

「桜を見上げよう。」Sakura Projectを見に。

 

47都道府県の桜の枝を集めて、

いっせいに咲かせるというイベントです。

 

わざわざ東京まで行った理由は、

・桜が好きで、単純にこのプロジェクトに魅力を感じた。

 

・22日はたまたま仕事が休みだったのと、

 プラントハンターの西畠清順さんと箭内さんのトークショーがある。

 箭内さんのトークショーといえばあきえの出番(笑)

 

・このタイミングで休みだなんて「行ってこい」と言われた気がした。

 (誰にかは知らないww )

 

・ずっと東京に行ってなかったので東京に行きたかった。

 

てな感じです。

 

47都道府県の桜をどんなふうに飾るのか。

 

想像つかなかったけど、

見た瞬間思わず『わー!』って声をあげてしまったぐらい素敵な桜でした。

 

それは、大きな花器に枝を入れて、まるで1本の木のように飾られていたのでした。

 

 

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2012年

3月

22日

Vol.23 「あの日から」

福島をずっと見てほしい。そんなブログ【Vol.23】

 

DIVE福島を立ち上げたメンバーのブログ

 

「あの日から」

 

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あの日からちょうど1年が経った昨日。
俺たちはライブのステージに立たせて貰っていた。

 

1年前には考えられなかった今現在。

それはいろんな意味で言える事

1年前には放射能の事なんて誰も話していなかったし、

一瞬で景色が変わってしまう事や、

一瞬で多くを失う事なんて想像した事も無かった。
きっとみんなそうだと思う。

失ったものは大きく。

取り返す事は出来ない。

あの日を、あの日までの生活を、また過ごすことは出来ない。

でも、立ち止まるわけにはいかない。

 

歩ける人間に出来る事は、歩き続けることだと思う。

すくなくとも俺はそう思っている。

よく思うんだ。

震災前と後では、どちらの自分が良いかって。

俺は後の方が楽しく生きていると思う。

新しい出会いが沢山あったし、やりたいことも見つかった。

そんな中でバンドを結成し、オリジナルを作り、ライブに出て、

いつの間にかライブのお誘いをもらえるようになっていた。

震災前には思ってもみなかった事だ。

1年の節目。

俺は歌っていた。

下手くそな歌を。

それでも歌うのは、諦めない気持ちを伝えたいから。

福島だけじゃない、他でもそう、諦めないで行動しつづける事。

それがどれだけの力をもっているか証明したいから。


あの日から1年

今年は変革の年になるだろう!

 

 

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福島県内で活動しているバンドを集めた

ライブイベント『DIVE福島』。

 

ホームページのリニューアルや

『DIVE福島Vol.2(5月開催予定)など、

今後の展開も楽しみです。

 

詳細は決まり次第HPやツイッターで

お知らせするそうなの要チェックです!

 

 

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2012年

3月

17日

Vol.22 「ある郡山市民の3.11(その5)」

 

放射能を過度に恐れていた事から解放されたけど、

その後は福島県外から流れてくる心無いデマに苦しめられ続けて来た。

 

「福島市のある同じ高校で、二人が心筋梗塞で亡くなった」とか

「浪江町の汚染砕石が阿武隈川に捨てられた」とか、

現地に住む人間として首をかしげるものばかり…

 

そのデマを拡散しているのが知識人や著名人、

大企業の社長や政治家だったと知った時は、

日本人はこれほど放射線(放射能)に対して最低限の知識も、

安易にデマを垂れ流している事に罪悪感も無いのか?と絶望した事もあった。

 

市民団体も色々あって、農地・市街地の除染等を支援してくれる所もあれば、

○○菌など、科学的根拠もないものを勧めたりする怪しげな団体もあるし…

一概に信用出来なくなった。

 

また宮城岩手の被災財(震災がれき)を客観的なデータを無視し、

「放射能汚染されているがれきを受け入れることは日本の破滅」と

実際某政治家の支持者らしき人間にTwitterで言われたこともあった。

 

彼らは放射能(放射線)の基本的な性質・特徴やふくいちから

宮城・岩手の被災地がどのぐらい離れているのか?

現地の地理も実情も調べもしないし、

自分たちが出すゴミが全く有害な化学物質も放射性物質も無い

クリーンなゴミであると思っている(思い込んでいる)

 

また、ごく一部のマスコミの放射能への不安と絶望を煽る記事・番組にも

何度も怒りを感じた。

特に許せないと思ったのが、
某週刊誌の「自主避難者の子どもに甲状腺ガン」の記事。

実際の甲状腺の検査結果は全て「良性」だったにも関わらず…

しかも、自主避難者された方々の意志を無視して勝手に公表されて…

 

また、日本の脱原発運動は至極当然の流れだと思う。

福島であれだけの事故が起きて、

今もなお放射能で苦しめられている方々がいるのだから、

殆どの福島県民は脱原発を支持するし、自分も同じ考えです。

 

でも、今年の3月11日に自分の住む郡山市で行われた脱原発デモは、

政党や組合等の組織を総動員して2万人近くの人間を集め【わざわざ】乗り込んで来た。

 

福島県内でも様々な考えを持つ人間が沢山いるし、

デモをやるなとも言わない。

でも、3月11日【だけ】は地震と津波で亡くなった人を偲ぶ事が出来ないのか?と思う。会津にだって中通りにだって浜通りに知り合い・親戚がいる人間だって沢山いるんだよ…

郡山市でも1人の方が建物の倒壊により亡くなっているし。

 

そして彼らに本気で脱原発を実現する意思があるのかどうかも正直疑問です。

原発を全部止めても電力は足りるとか言ってる方々がおられますが、

それは火力発電所がフル稼働をしたり、

各企業・家庭が必死で節電しているからなんとかなっているだけで、

実際の電力配給は綱渡りなんですよ。

各電力会社の電気予報見ればわかるでしょ、そんな事ぐらい…

 

本当は日本国民全体でこれからのエネルギーをどうするのか?

原子力に依存しない社会を作るにはどうしたらいいのか?

考えなきゃいけない「ハズ」なのに…

 

デモで騒いでいる方々はただ「チェルノブイリでは~」とか

「(子供たちの為に)原発をなくせ」だけ連呼するに飽き足らず、

あたかも福島県民に健康被害があって欲しいと願う言動も

一部の脱・反原発を主張する人間の口から聞かれるし…

 

放射能の実害以上に福島を、岩手・宮城・北関東の被災地に住む人間を

どれだけ傷つけ、苦しめているのか…お前らにわかるか?この気持ちを?

 

国や東電にこの福島を滅茶苦茶にされた事は絶対に許せない。

でも、被災地を・福島を侮辱する人間、

それが脱・反原発を主張する人間であれ不安を煽るだけのマスコミであれ

絶対に許せない。

 

だから、これからも福島に、被災地に住む人間として

現地のリアルな声を上げていきたいと思う。

 

2012年

3月

16日

Vol22 「ある郡山市民の3.11(その4)」

 

ある郡山市民の福島をずっと見てほしいブログ。

 

Vol.22 ある郡山市民の3.11(その4)

 

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インターネットを再開したのは震災から3日後、

壊滅的な被害を受けた自室だったけど、

ネットが出来るかどうか確かめるために二階の自室へ向かい、

ネットワークの被害状況を調べてみる。

 

地震でケーブル及び回線終端装置がダメになっていると思いきや…

ケーブルは被害なしで、回線終端装置は固定用の台は壊れたものの、

通信自体は問題なかった。

 

とは言え、原発事故に伴う電力不足で

(首都圏が)輪番停電を開始した直後だったので、

被災地の自分たちも節電しなきゃ!と言う意識が非常に高く、

ネットをする時間は限られていた。

 

Twitterに関して、アカウントは震災以前からあったものの…

長い間休止状態だったので事実上震災を機に始めた…

と言ってイイね…(;´Д`)

 

正直、記憶が曖昧になっているのだけど、

当時のTwitterは被災地・福島差別が酷くなかったし、

「PRAY FOR JAPAN」とか「頑張ろう日本」とか「絆」とか、

今聴くと正直「(自分の中では)軽く感じてしまう言葉」が

TL上を賑わしていた。

 

当時は環境テロリストのGP(グリーンピース)とか

チェルノブイリのなんたら~とか、

国よりも早く(放射能汚染の)データを出してくる市民団体を

国や県より信じていた。

 

当時は「今の福島が放射能災害で危機的な状況で、

子供たちだけでも速やかに県外に避難させるべき」と思っていたのもあるし、

純粋に人間の善意を信じていたのかも。

 

TV局が全部震災・原発事故の報道特番一色になり、

もう津波とか原発(の水素爆発)とか見たくなかったので、

避ける様に某動画サイトを見るようになったのだが…

 

その時に某?元?俳優が参加したていた「オペレーション…」と

某K.T教授の存在を知る。

 

K.Tの講演会(二本松市)がサイトで生中継されていたので見てみる。

 

当時の彼は「野菜は洗えば大抵の放射性物質は落ちる」

「除染は早いうちにやるべきで、除染で出た土はふくいち周辺に持っていくべき。

東電で出したゴミなのだから東電が引き取るのは当たり前」

「野菜は子供たちには控えるべきだか、大人は積極的に食べるべき」等…

 

それから数ヶ月後の言動の変わり様に驚きと怒りが湧いてくるが…

当時は必死でメモを取った記憶が。

 

それがきっかけになったのかな…

放射線に関する様々なサイト見て、

放射能を「むやみに怖がる」のではなく

「正しく怖がる」様に考えが変わったのは…

 

子供の頃から放射能に対する恐怖は広島・長崎・スリーマイル

・チェルノブイリ…と散々学んできたけど、

今まで放射能(放射線)が核兵器・原発以外で

どの様な目的で使用されていたかなんて殆ど学んでこなかったし…

 

基本の放射線・放射能・放射性物質の違いから、

Sv(シーベルト)Bq(ベクレル)の単位の意味、

放射線の種類(α線・β線・γ線・中性子線・X線)と性質から

現在の福島の汚染状況まで色々勉強して徐々にではあるが…

 

放射能コワイコワイ病(放射能)から脱却する事が出来た。

 

 

【(その4へ)続く】

 

 

 

2012年

3月

15日

Vol.22 「ある郡山市民の3.11(その3)」

ある郡山市民の福島をずっと見てほしいブログ。


Vol.22 ある郡山市民の3.11(その3

 

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ふくいちの水素爆発の映像が頭から離れず、

この時点で完全な放射能コワイコワイ病(放射脳)だった自分。

 

 

相談できる相手が居ないし

(家族は放射能に関して無知で、

同僚や職場の上司は放射能の話題に触れないし)

皆それぞれ不安だったと思うけど、

当時は自分だけが取り残されていた感じで…

今思えばあの時ほど孤独を感じたことは無かった。



15日(だったと思う…)会社から約1週間の自宅待機命令が出る。

上司曰く「この先(原発が)どうなるかわからないから取り敢えず待機しろと。」



この時が一番ふくいちが危険な状態だったのかな…

県民健康調査票に一緒に付いていたカレンダーで見る限り(;´Д`)



2号機で爆発音、4号機の外壁破損確認及び火災発生、

原発から半径2030km圏内屋内退避指示…)



今、自分の目には見えないけど確実に原子炉由来の放射能があって、

その放射能で将来どんな影響が出るのか全くわからない。



そんな不安もあり、自宅待機中の1週間、

家の中でもマスクを付け極力外には出ない様にしたし、

オカンとばあちゃんが窓を開けっ放しにしただけで

「何開けっ放しにしてるんだ!!」と激怒。



一番酷かった時は自分以外の2人がゴミの片付けなり、

スーパーへの買出しに出かけたり…と用事をこなしているのに

コタツから一歩も動かなかった事も。



また、例年この時期は軒先に干し柿を吊るしたり、

庭ではネギを栽培していたんだけど、


ふくいち立屋からの水素爆発で飛散した放射性物質が

どれだけ付着しているのかも不明だったので、

祖母が庭先から家に持ち込もうとするなり

「何持ち込んでるんだ!」と激怒したり…



食事に関しても、当時は郡山でも微量ではあるものの、

放射性セシウムやヨウ素が水道水から検出されていたので、


味噌汁を飲むたび、ご飯を食べるたびに

「内部被曝への恐怖」が脳裏をよぎる。



今だと

「…はぁ?お前何を言ってるんだ?

人間は原発が出来る以前から食べ物経由で

放射性物質を取り込んでるんだよバーカwwwm9(^Д^)プギャーwww

 

 と一蹴する内容でも、当時の俺は

放射能コワイコワイ病から来るヒステリーで

(精神的に)1ベクレルすら体内に入れたくなかった。

 

 

 【(その4へ)続く】

 
 
 
 

2012年

3月

14日

Vol.22 「ある郡山市民の3.11(その2)」

ある郡山市民の福島をずっと見てほしいブログ。


Vol.22 ある郡山市民の3.11(その2

 

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312日朝、度重なる余震と今後の不安もあって


2時間ちょいしか眠れぬまま起床。



お風呂に入っていないので髪はボサボサ、

体もベタつくし…最悪の目覚めと言ったところか。



午前7時、車に乗り込んで会社へ向かう。


昨日は夕暮れの為、暗くて良くわからなかったけど、

道路の所々に陥没や歪みの跡が見られ、

今回の地震の揺れの大きさを改めて思い知らされる。



午前7時半、会社に到着。復旧作業の前に、

会社側から放射能対策(!?)としてマスクを支給されたけど、


これだけで放射性物質を防ぐ事が出来るのか?


しかも窓も全開だし…作業前から激しく不安…(;´Д`)



12日の作業内容は地震で倒れてしまった装置を

元の位置まで戻したり、周囲の清掃等の雑用がメイン。



この時点では断水の為、水道がまだ使えなかったので、

本格的な復旧作業は出来なかった。 



1536分にふくいち(東京電力福島第一原発)一号機にて


1回目の水素爆発が起こる。



この時、FCT(福島中央テレビ)のライブカメラが

ふくいちの立屋が爆発する映像をリアルタイムで見た様な気がする。

*補足:見た様な気がする…ッテナンデヤネン┌(`Д´))゜∀゜)


ってツッコミが来るのは重々承知なのですが、

歳なのかそこの記憶がもうぼやけて…



俺は家でその映像を見た気がするのですが…

ごまかしもいけないと思ったので敢えてこの表現にしてみました。



この水素爆発の映像を見て、

自分も正直「もう福島は完全に終わった」と思ったし、

いつ国や県から避難命令が来てもイイ様、

貴重品や変えの衣服・下着等…を枕元に常時置く事に。


(当時は生き残る事に必死でしたから、

当然県外への避難も選択肢にありました。)



母親(当時59歳)と祖母(当時81歳)は

30年後なんて、年齢的に自分達はこの世にいないのだから、

別に放射能で被曝しても構わない(ガンになる前に亡くなっているから)」

「生まれ育った郡山から離れる事は出来ない、避難しろと言われても残る」



アンタらそれでイイかも知れない、けど、

俺はまだ30年以上生きなければならないんだよ?

俺は絶対にガンなんかで死にたくもないし、

生き残りたいし、出来れば今すぐ福島から避難したい…


今思えば絶望的な感情が自分の周りを支配していたと思います。


考えれば放射脳予備軍…って所か(!?)


【(その3へ)続く】

2012年

3月

13日

Vol.22 「ある郡山市民の3.11(その1)」

ある郡山市民の福島をずっと見てほしいブログを、

5回に分けて紹介します。


Vol.22 ある郡山市民の3.11(その1)

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あの日から1年…という事で、

震災当初の自分が見た状況を思い出しながら書いてみようと思います。

ただ、記憶が曖昧で時空列がおかしくなっているところも


あると思うのでご容赦下さい。

  

 

自分が被災したのは会社の駐車場。

遅出出勤の為、2時間遅れの昼休みを車内で過ごしていた時の事だった。

カーナビでTVを見ながらぼけ~としていると1446分に地震が発生。

 

すぐ収まるだろう…と思ったら徐々に揺れが大きくなっていき、

(車内も)激しい揺れに襲われたので急いで車の外へ逃げた。

 

職場に向かおうとすると、「こっちへ来るな!!」と上司の声が…

視線を向けると窓ガラスどころか建物自体も激しく揺れ、

中から従業員が飛び出してきた。

 

周囲は地響きと建物自体の揺れから来る

いつもは聞いたことのない音と女子社員の悲鳴が上がり、
あまりにも想像を超えた状況に恐怖と言うよりはただ笑うしかなかった。

 

何かの機械の上に乗っている様に大きく地面が横揺れしているし…

ガキんちょの頃に宮城沖地震も日本海中部地震も体験しているが

このスライド感(!?)は今までにないものだった。

 

2分近く(!?)続いた本震が収まり、ようやく皆の所へ向かう。

少し同僚と話した後、職場の被害確認の為建物に入るのだが、

頻繁に余震が起き、激しい揺れが来るたびに作業を中断し外へ逃げる。

 

今思えばあの揺れによく耐えたなぁ…と。

ボロっちい建物なのに(´・ω・`)

 

設備の配管が所々壊れて水漏れを起こし、

(地震発生時)作業中だったため、


機械に投入した製品が全てダメになってしまった。

 

機械そのものは手動で動かせるので、

ダメになった製品を水洗槽へ全部移動させて

(従業員の家族の事もあるだろうし)
今日はこの時点で全員帰宅し、明日復旧作業をしようと言う話に。

 

1人で留守番している祖母の身が心配だったが、

携帯から連絡しようと思っても電話が全く通じない…

働いている母も連絡が全く取れず…不安ばかりが付きまとう。

 

17時頃、皆が続々と帰宅していく中、

自分は残った同僚達と携帯のワンセグでニュースを見ていると、
仙台空港と仙台平野が津波に飲まれていく映像を見て絶句…

 

「今まで想像もしていなかった事が現実に起きている…」

 

この時、「バカみたいな揺れと津波が来たけど、原発は大丈夫…だよな…?」

と思いが頭の中を過ぎる。

しかし、その危惧は数時間後に現実の物となるとは

自分も他の人間もこの時点で誰一人思ってもいなかった…。

 

17時ぐらいになると渋滞も解消されたのか、比較的余裕帰宅出来た。

一番不安だった祖母や母の方は怪我も無く一安心。

 

しかし、部屋の中は倒れた家具と崩れた壁で直視できない状態だったし、

風呂場は天井や側面のタイルが全て剥がれ落ちていた。

 

2階の自分の部屋もTVとタンスが倒れPS3とノートPCはその下敷きに…

(幸いな事に両方壊れずに使用可能でした。)

 

ライフラインに関して、電気水道は何ともなかったが、

ガスボンベが斜めに傾いてしまった為にガスが使用不可能になる。

 

取り合えずTVで今回の地震の被害の大きさを思い直しながら

3人で周囲に飛び散ったガラスと食器の片付けをする。

 

19時頃、政府が東京電力福島第一・第二原子力発電所の緊急事態を宣言。

 

まさか…と思っていた事が現実のものとなり、

5分おきに来る余震に加え見えない放射能に怯えながら12日を迎える事に。



お風呂にも入れず、満足に眠れる状態でもなかったけど、

今思えば良くあの状況を乗り越えられたと思う….

 

【(その2)へ続く】

2012年

3月

13日

Vol.21 「あれから1年が過ぎ、いま思うこと。」

「あれから1年」

あの日から1年が経った。

経験したことのない大地震。
恐怖にパニックになりながら、家族や友人・知人の無事に涙した日。

 

そして原発事故。

 

何も考えられず、とにかく避難した。
避難先の埼玉で、残ったみんなの事を思うと後ろめたく、

地元の為に働いたりボランティアにも行けない子持ちの身が情けなかった。

とにかく毎日泣いて、お酒に逃げていた。


結局は仕事再開にあたって、10日程の避難で帰って来てしまい、

それはそれで「子供の為に避難したはずなのに…」という

後悔のような疑問のようなものが残った。

県外の何人もの友達から心配のメール。

ありがたかったけれど、ある友達からの

「生活と子供の命を天秤にかけるの?」という内容に、追い詰められた。


持病あり&シングルマザーの私が親だったから…と自分を責め、

子供を養子に出そうかと思った事もあった。

そんな時にあった「LIVE福島」
たくさんのミュージシャンとたくさんのお客さんが、こんな福島に来てくれた!
そのことでどんなに励まされたかわからない。

 
そしてもうひとつ、「福島リアル」の存在を知った。
立場は違っても、同じように悩みと苦しみの中で、

それでも前を向こうと頑張っている人たち。
私も一緒に頑張りたいと思えた。

新年を迎え、あれから1年が過ぎ、今は思う。
私は避難できなかったんじゃない、福島で生きる事を選んだのだと。
ここは私の故郷であり、息子の故郷で、避難したたくさんの人たちの故郷だ。
誰かがここを守らないといけない、再生しないといけない。

 

みんなが安心して戻って来られるようにするのは、

福島に残る事を決めた私の使命だと思う。

迷い、苦しみ、悩んで泣いて…絶望しそうにもなったけれど、

それも前に進むための大切な時間だったのだろう。


今も何の心配もないわけではないけど、

ここが住めない土地になったとは思っていない。

知恵と力を出し合えば、ここで生活していくのは可能なことだ。


今日から福島のもうひとつの新年!
「あいらーびゅーべいびー、ふくしーまー♪」と元気に歌う息子が、

大人になってもその気持ちを持ち続けてくれるよう

私は笑顔で故郷を守っていこいうと思っている。

 

 

 

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2012年

3月

12日

Vol.20 「避難所で携帯に残していたメモ」

先ほど「福友ch_そらいちチャンネル」の

USTREAM配信でご紹介したブログです。

 

福友ch_そらいちチャンネルはこちら。

http://www.ustream.tv/user/dsk_blue

 

 

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ついに日付が変わって3月11日。

今年も私は福島に帰省中です。

 

やっぱり大好きなふるさとで、

大切な家族と過ごしたいって思いました。

 

 

2011年3月17日に避難所で携帯に残したメモ、

あの日を振り返り、読み返してみました。

 

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2011年3月11日 14時46分


絶対に忘れちゃダメな日。

 

もう少し居場所が悪かったら、

揺れが強かったら、

私は今ここに居なかったのかもしれない。

 

地震発生時、台所にいた私。

私の真後ろにあった冷蔵庫は倒れてこなかったけど、

すぐわきにあった食器棚は倒れてきて、お皿やグラスが砕け散った。

 

今回の地震で修学旅行や家族旅行で行ったことのあるところが

津波の被害に遭ったんだよね。


手元にある何年か前の写真に写っているあの綺麗な景色が、

こんなことになってしまったなんて…信じたくない。

全部全部変わってしまったなんて。

 

生きてる…って、大切な人と一緒のときを過ごせる…って、

すごいことなんだよね。

奇跡なんだよね。

なんで当たり前に思っちゃうんだろう。
なんで気付かないんだろう。

 

逃げたくても、生きたくても、

それが出来ずに亡くなっていった人たちがたくさんいる。

 

今も家族や大切な人と連絡がとれない人がたくさんいる。

そのことを忘れちゃダメだよね。

 

住む家があって、電気・ガス・水道があって、大切な人に会えて…etc

自分がどれだけ恵まれているか考えなきゃ。

 

地震に原発に…ってやり場のない怒りや不安、恐怖がこみ上げてくる。

 

でも負けないから。

時間はかかるかもしれないけど、また素敵な東北にするんだから。

絶対に。

今回の地震…いっぱい泣いたな。

 

長かった揺れへの恐怖、

ラジオから聞こえてきた励ましの曲や応援メッセージの嬉しさ…etc

 

地震の被害の大きさを知ったときは本当に悲しかったな…。

 

生まれ育った福島はもちろん大好きだけど、

親戚が青森,岩手,宮城にいるから、

「故郷=東北」ってくらいに昔から思い入れがあるんだよなぁ…。

大好きだよ、東北。


どんなことがあっても頑張るから。

守りたいんだよ…うん。

 

節電に義援金,救援物資,応援メッセージ…etc 本当にありがとう。

どれだけ励まされたか、どれだけ嬉しかったか…

悲しいし不安だけど、負けないから。頑張るから。


だから地震から1週間、1ヶ月、3ヶ月、半年、1年…って

時間が経っても忘れないでほしい。

この地震の悲惨さや生きているのは奇跡なこと、

多くの人が悲しんだこと…etc お願いだから。


+--+--+--+--+--+--+--+


久しぶりにこれを読んで、失ったもの、変わったものは多いけれど、

このときの気持ちを忘れずに頑張っていこうと思いました。

 

私のふるさと福島。離れていてもこれからも愛し続けます。

 

 

 

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3/10に震災から間もなく一年の思いを

私たちに預けてくれた大学生。

 

彼女が3/11は福島で過ごしたいと帰って来てくれて、

その日、携帯を振り返って

見つけたメールを私たちに送ってくれました。

 

また一人、後ろ髪を引かれる思いで関東に戻るのだろうけど、

ふる里福島に対する願いでつながっていたいです。

 

 

 

 

 

 

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2012年

3月

10日

Vol.19 「震災から間もなく一年」

 

福島をずっと見てほしいブログ『Vol.19』

 

震災から間もなく一年の思いを

私たちに送ってくれたメッセージを紹介します。

 

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関東の大学に通う私。

 

でもあの日は福島の実家にいた。

 

震災前、私は帰省の度に福島のお菓子を

お土産に買って、大学の友人に渡していた。

 

だけどあの日以来、友人の反応が怖くてお土産のお菓子が買えない。

 

私が「今度の連休は実家に帰ろうかな」と言うと、

周りは「なんでわざわざ放射能だらけの危険なところに行くの?」と聞いてくる。

 

なんでって… どんな状態になっても私のふるさとは福島だ。

高校卒業までの約18年生活してきた大切な、愛するふるさとは福島しかないんだ。

 

それに、実家には両親も弟もいる。同じ街で恋人も友人も生活している。

私の帰る場所は福島なんだ。

 

そんな私は只今 就活真っ最中。

面接官の心ない言葉に会場から出ていきたくなるような思いをしたこともあった。

 

このくらいのことで…って思う人もいると思う。

社会はもっと厳しいからいちいち気にしてたらいけないのかもしれない。

 

だけど…ふざけるなと思った。

すごく悔しかったし悲しかった。

なにニヤニヤしながら言ってるんだよって思った。

 

福島を離れての大学生活。

この1年間、さまざまな人の心ない言葉や行動に

悔しい思いも悲しい思いもたくさんした。

 

でも、きっと世の中そういう人ばかりじゃないって信じてた。

だけど…心ない人に出会う度に感じるこの気持ちはやっぱり消えない。

 

それらのつらさや悩みを話したくても、誰にも言えなかった。

福島で暮らす家族や恋人、友人のほうが

何十倍も何百倍も大変だとわかっていたから。

 

私がいる席では震災の話を避けている大学の友だち。

それなのに私がこんな話をしたら悪い気がしてダメだった。

それに彼ら、彼女らが心ない言葉や行動をしていたことがあったから。

 

まもなく1年になるけれど、

復興や原発事故など全てが終わったわけじゃない。

 

みんなの傷が癒えたわけじゃない。

 

周りの人にはそのことを忘れないでいてほしい。

 

 

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この事故で心を痛めている人は、

福島にいる人だけじゃない。

 

福島に帰ってきたときは、ゆっくりして、

気持ちを預けていって欲しいです。

 

同じ思いを持った仲間たちがたくさん待っています。

 

明日で震災から一年。

 

何も終わっていないけど、今まであった大切なもの、

あの日から生まれた大切なものに、

感謝する一日にしたいです。

 

 

 

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2012年

3月

02日

福島をずっと見ているTV「Vol.7 Vol.8」からのスタート。

12月と1月に放送された「福島をずっと見ているTV」

 

「避難していない人の気持ち。」

「避難している人の気持ち。」

 

どちらも傷つけあうなんて悲しい。

原因は同じなのに。

 

こんな分けた放送なんてしないで欲しい。

「避難できた人はいいよ」って

気持ちが折れそうになった時に、

つい口にしてしまった言葉が、

相手をものすごく傷つける言葉になってたり。

 

気持ちがぶれないように"自分"に言い聞かせてた

「子供を守るために避難した」という言葉が

福島で子育てを決めたパパさんママさんを苦しめたり。

 

どちらの決断にも、強さや迷いや弱さが

入り乱れているから、ちょっとした言葉で傷ついてしまう。

 

でも、ほんとはみんな傷つけ合いたくなんかないし、

それぞれの決断を認め合いたいって思ってる。

いや、認め合っている。

 

そう思っていたけど、

避難した人の気持ちと改めて向き合うことは、

いま"ここ"で生きることに必死になってた自分にとっては、

必要なことだったような気がします。

 

私たちはたまたま今回の事故で引き裂かれただけで、

どこにいたって根っこは同じ福島人。

 

大切な土地を離れる決断をした人にとって、

私たちがここで"頑張っている"という声を聞くことが、

辛かったり寂しかったりさせているのかもしれません。

 

そんな人たちのことを福島に残る私たちが

いつも温かく思い続けていなければいけないと思いました。

 

福島との距離がどんどん遠くなって行ってしまわないように

思い続けていきたい。

 

そして、避難された方には、後ろめたさなんて感じずに、

今いる場所で自分にしっかり根を張って、

倒れないように踏ん張って生きて欲しい。

 

そして祈っていて欲しい。

福島が3.11以前の福島に戻るように。

それ以上の福島県になるように。

 

福島をずっと見ているTV「Vol.7」「Vol.8」からのスタート。

 

これをきっかけに熊本のほるるんさんと出会った

2月の放送「Vol.9」の回。

 

あの時、福島の復興に対して何もできないのが、

申し訳ない気持ちだと行っていた彼女は、

遠い熊本の地から2/25(土)に開催した

私たちのコミュニティにネットから参加してくれていました。

 

福島ぐるっとコミュニティ

 

そして送ってくれたメッセージです。

 

『ユ~ストリ~ムに参加された方は

みんな本当に気丈にされていました。

立派だなあと感心しました。

 

私はそんなみんなの心を守りたくなりました。

 

もうこれ以上、必要以上に福島を

いじめる奴らは私が許さないから。

 

避難先でたくさん話して

一人でも多くの味方を作るから。

 

残りの人生をかけて福島で起きたことを語り続けて

外の方々に理解してもらおうと思います。

 

ときどきは 県外の人のつらい思いを

代弁することがあるかもしれないけれど

福島に残る家族や友達が

不安で笑顔が消えないよう願いながら

ずっと福島に寄り添って生きていこうと思います。

 

まずは、今回の事故の企業の責任を徹底して追求していくこと。

 

私たちのことを忘れ去られないように、外の人たちに話し続けること。

 

福島の人たちが同じ方向を向けるようにするには、

東電と国に完全に非を認めさせて福島の人に平等に償いをさせること。

 

福島だけでやるには荷が重すぎますね。

 

日本中を巻き込まないと、東電と国にこの事故を災害と位置付けられて、

あと数年もしたらなかったことにされそうなので、

腰を据えて頑張って行こうと思います。』

 

分けて放送されたあの番組だけど、

つながると思いは一緒なんだと思えたから

3.11以降の欠けてしまったものを埋めれるように、

これからも福島を思う人とつながっていきたい。

 

これからも。

『ふくしま友達の木』

 

ほるるんさん、ありがとうございました。

 

そして、福島ぐるっとコミュニティを外から見てくれた、

たくさんの方々、ありがとうございました。

 

当日の様子は2012年3月31日まで、

こちらからご視聴頂けます。

 

 

 

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2012年

2月

19日

Vol17. 「放射能と生活」 講演会を聞いて

先日、友達に誘われて、

「放射能と生活~福島の農業発展につなげるために必要なこと~」と題された、

茨城大学教授、高妻孝光先生の講演を聞いてきました。

 

高妻先生は、大晦日夜の「朝まで生テレビ」にも出演され、

この講演会を開催された農家の藤田さんも、同じく出演されています。

 

講演は天然、人工の放射性核種の話から、放射線の種類、

ニュースに報じられるベクレル、シーベルトという単位の中身、

身近に存在する被ばくの話まで、約2時間半、

見事に聞き入ってしまいました。

 

なかでも、放射性核種の違いで、年齢による影響の差があることや、

体外に排出される時間のことなどは、勉強不足のところでした。

 

講演の後、質疑応答があり、

私も子供たちが身に着けるガラスバッチの数値に関すること、

普段の生活、仕事のことなどをお答え頂きました。

 

次の日の朝、興奮冷めやらぬうちにと、

先生にお礼とごあいさつのメールを送らせて頂きました。

以下、一部割愛していますが、私の気持ちを載せられたと思います。

 

 

高妻 孝光様

 

昨日は、お話を聞かせていただき、ありがとうございました。

 

震災後、福島リアルという集まりに参加しており、そのつながりから、

高妻先生や藤田さんを知るきっかけとなった、

年末の朝まで生テレビにも参加させていただきました。

 

私、原発事故後、16日に家族を連れて一時、郡山を離れておりました。

 

結局、何が収束かもわからず、地元のことが心配になり、一週間で戻りました。

その間も会社の同僚たちは、震災で壊れた屋根を直していました。

 

もちろん、私も帰った後は、屋根に上がり彼らと同じ仕事をしているのですが、

あの時、一週間逃げたということを私の中で、ずっと引きずっている部分があります。

 

自分がどうして放射能の知識をいくらかでも知りたいかといえば、

一番は子供たちのためです。

 

私とこの町で暮らすことで、子供たちにどんなリスクがあるのでしょう。

また、これから先日本中、世界中を飛び回ってほしい子供たちに、

この、いくらかの被爆が決してマイナスになってほしくない。

 

親である私が、正しい知識を持てば、正しいことを教えられるし、

子供たち自身も、将来、自信を持って行動できると信じています。

 

そして、身近な人たちにも知ってほしい。

 

現場の職人たちは、いくらかの不安がありながらも、気にしていたら仕事にならんと、

なかなか数字に目を向けようとはしませんでした。

 

事故後も屋根に上がり、雨どいの土を取り除き、瓦を剥がし、

被ばくのリスクを鑑みず、仕事をしています。

 

自分も、危ないからやりませんとは言えませんし、

むしろ率先して屋根に上がるほうです。

 

そんな時、いくらかでも知識があれば、無理なことはしなくなるだろうし、

効率よい仕事の段取りもできると思うのです。

無用な被ばくも避けられるのではないでしょうか。

そんな思いの中、講義を聞かせていただきました。

 

初めて出会った言葉もありますし、ついていくのがやっとでしたが、

メモしたことを、復習したいと思います。

 

講演を聞いた職場の上司も、押しつけられる感じがしなくて良かったと申しております。

 

こんど機会がありましたら、ぜひ、現場にお越しください。

屋根の修理や、雨樋、外壁の修理、新築。

職人たちがどんな状況で働いているかを見ていただけたらと思います。

この度は、本当にありがとうございました。

ツイッターなど、また拝見させていただきます。

 

以上がそのメールでした。

 

またこれからも勉強を続けていきたいと思います。

 

そして、こういう機会を与えてくれた友達の木に、感謝です。

 
 

 

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2012年

2月

09日

Vol.16 「福島でオリンピックを!」 

私にとっての故郷、郡山。福島県。
もともと地元が大好きだった私にとって、
この土地、ここに生きる人々、街そのものが、どんなにかけがえのないものだったのか。
それを改めて、強烈に思い知らされたのが今回の震災でした。

都内で勤務していた私は、震災と原発事故以降、

どうしてもそれまでの生活を送ることができなくなり、
大好きな故郷で生活したいという想いが抑えきれず、福島へ帰って来ました。

とにかく何か、何か行動しなければ。

という焦りでいっぱいのとき、偶然見たNHKの番組「青春リアル」で、

この「福島リアル」の存在を知りました。


ここに参加する前の私は、非常に暴力的で、危険な考えを持っていました。
それからメンバーの皆さんとの意見交換や、雑談を重ねる中で、

徐々にその気持ちは落ち着いていき、

もっと冷静に物事を捉えるよう心がけるようになりました。

 
しかしまだ、行き場のない怒りはなくなっていませんし、

もちろん「何か行動をしなければ」という気持ちは変わっていませんが、

考えても考えても、明確な結論は出ていません。


その結論は出せなくても、出そうとし続けることが大事だと思っており、

その行動のひとつがこの「福島リアル」への参加だと思っています。

もちろん汚染による健康被害の不安は決して少なくありませんが、
私にとっては放射線量の数値を気にし続けるストレスや、

経済的な負担よりも、それ以上に郡山で、福島で生活できる喜びの方が大きく、

今の生活は非常に充実しています。

私は現在、郡山市役所の臨時職員として勤務していますが、

震災や原発事故に直接関わる業務はとても充実感があります。


臨時職員という立場ながら、まずは郡山から福島を元に戻していくという使命感を

勝手に持って日々業務に励んでいます。。

 
いつの日か、福島でオリンピックを開きたいのです。

 

 

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2012年

1月

17日

Vol.15 「震災後のふくしまでの子育て」

未曾有の大震災から10ヶ月が過ぎました。
 
「まさかこんなはずじゃなかった・・・」
「生活が一変してしまった」
 
こんな風に思われている方たちはたくさんいらっしゃることでしょう。
 
私たち家族も例外ではありません。
 
私は福島県郡山市に在住で、夫、子供二人の4人家族です。
3.11の大震災以降、福島県では原発事故による
「放射能」という見えない敵に脅かされ続けています。
郡山市でも毎時1マイクロシーベルト前後を行ったり来たりの毎日です。
おかげで幼稚園に通うわが子たちも、外遊びが制限されてしまいました。
 
育ちざかり、遊びざかりの小さな子供たちにとって、
外で遊べない、というのは非常につらく苦しいものです。
いままでやったことのないオセロやカードゲームなどを買って、
室内で親子で触れ合って遊ぼうともしましたが、
毎日するにはいかんせん限界があり、親も、子供も、ストレスがたまります。
また、将来的にも、体力不足にならないか、
成長に影響が出ないかと不安がつきまといます。
 
そんな中、各団体、行政が、室内での遊戯施設を次々と開設してくださっています。
そのうちのひとつ、「ふくしまインドアパーク」に先日遊びに行ってきました。
 
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2012年

1月

11日

Vo.14 「みんなのメッセージを届けてきました!」

私と福島リアルの出会い。

きっかけは、LIVE福島。

猪苗代湖ズの「I love you&I need you ふくしま」を聞いて・・・

そこから、タエロールの活動日記にたどり着きました。
友達の木のステッカーから
10月のコミュニティに初参加しました。

震災があってから、私も何かしたいけど何ができるんだろう???
自分にできることを探していました。

福島リアルのことも、ふくしま友達の木のことも
なにもわからないまま飛び込んでみました。

福島リアルの活動に参加するうちに、
いつのまにかあったかくて居心地のいい友達ができて
自然と友達の木が成長していることに気づきました。

これが友達の木なんだなぁって。
嬉しくなりました♡

昨年の12月から、自主避難で山形へ。
その後も避難先から福島リアルのみんなとつがって、
イベントがある時は、なにかと福島に帰っています。


そんな私が、北海道の札幌へ行く予定がありまして。
(その予定とは、EXILEのLIVEです!笑)

福島リアルのメンバーから札幌へ避難しているみなさんへの
メッセージを届けに行くことになりました。

こちらは、ハートのメッセージの木です。

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2012年

1月

07日

Vol.13「笑門来うつくしま福しま 」

2012年がはじまりました。
長かった正月休みもあと一日。
ママさんが仕事であったので、こどもたちと過ごしました。
 
それでこの休みに利用したのが、昨年暮れにオープンした、
「Pep Kids こおりやま」屋内遊び場施設です。、
郡山市と郡山医師会が、こども達に明るい笑顔を呼び戻すための
幅広い取り組みの一つとして、地元企業、ヨークベニマルの協力の下、
市内の空き店舗を利用して作られました。
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2011年

12月

23日

Vol.12「あんぽ柿出荷自粛、そして来年に期待を寄せて」

「悔しい・・・90年の歴史を振り返っても、出荷自粛などなかった。

何も悪いことしていないのに。。悔しくて」


近所の生産者が涙しながら語った言葉。

こんな形で涙を見たくなかった。

でもこれが今の現実。


私の家はあんぽ柿を加工している農家。

地域は福島北部にある伊達市。

伊達市の特産品で県ブランド認証商品でもある。

平成20年からは献上品として宮家にも届けていた。


本来なら、今年もあんぽ柿を加工するはずであったが、

3.11の原発事故の影響で、県から出荷自粛の報告を受け、

熟成した生柿を見届けることしかできない。


これまで色々と品種改良を重ね、手塩をかけて育ててきたものが一瞬にして崩壊してしまった。


今年の柿は、昨年と比べ豊作で、実が大きく、色づきが良いから甚だ悔しい思いが募る。

生産者の暮らしを保障するため過去3年間遡り、

売上が良かった年の金額を東電から賠償金としていただけることになっている。

だけど賠償金をいただいても素直に喜べない生産者は少なくはないと思う。

伊達のあんぽ柿は、硫黄薫蒸で乾燥加工し、より一層甘みを引き出すドライフルーツであるが、

県の調査で乾燥させる際、生柿の放射性セシウムが凝縮され、

食品衛生法の暫定基準値を超える(1キロ当たり500ベクレル)放射性物質が検出されることで、

出荷自粛に紐づく。


これを時機に、断腸の思いで、あんぽ柿加工に幕を閉じる農家もあり

何だか切ない気持ちになる。

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2011年

12月

20日

Vol.11「出会う」

自分は会津出身で今は須賀川市に住んでいます。


音楽(ロック)が好きで年中ライブやフェスに参戦していて
自分のなかで音楽はなくてはならないもの。です


震災後は様々な情報が飛び交う中、唯一信じられたのは音楽だった。
いろんなバンドやアーティストが福島に支援や元気を届けに来てくれた。

「自分に出来る事はなにか?」
と考えながらモヤモヤしながら過ごす毎日。


そんな時、箭内さんがLIVE福島をやると聞き応援したくて

とりあえずmixiで勝手ながらコミュを立ち上げてみた。

そして青春リアルの福島をずっと見ているTVを見て福島リアルを知った。
福島の為になにか出来る事はないかと奮闘するメンバーの姿を見て
自分も参加したい!と思った。

10月のコミュニティの集まりで

いろんな話を関根さんとした時に思った事があって
「音楽しか信じれなかったけど、この人にならついて行ける」と。
そして自分の居場所も見付けた。

素敵な仲間達とも出会えた。

まぁそんなこんなで 長くなるから割愛(笑)
その時に出会ったバンドマンとイベントを企画する事になりまして。

[DIVE福島プロジェクト]

簡単に説明すると
LIVE福島が終ってからコミュ参加人数が減っているんだよね~て話をしたら
彼が、だったら俺らでDIVE福島やろうぜ!ってなって。


LIVE福島を楽しかったねー!で終らせてはいけない。
いろんなバンドが福島に来てくれたり、

LIVE福島とか県外から様々な支援があるけどすべて外部から与えられたものに過ぎない
でも、これからは福島から外部へ発信していかなければいけない。

甘やかされてばかりではいけない。

 

まずは福島県民が福島の現状にDIVE(飛び込む)する。
県外の人達も今の福島にDIVEしてほしい。


音楽という一つの媒体で繋がれる。

福島から発信し続ける。

まずは福島県内で活動しているバンドを集めた

ライブイベント「DIVE福島 Vol.1」開催!

 

◆◆◆◆◆

DIVE福島 Vol.1
2012.1.22(sun)
@福島県郡山市「CLUB#9」
OPEN/13:30
START/14:00
TICKET ¥1000(ドリンク代¥500)

公式ホームページはロゴをクリック!

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2011年

12月

19日

Vol.10「来年も再来年も10年後も20年後も」

まずは軽く自己紹介を。
私は、郡山で生まれて育ちました。
大学から社会人1年目までは関東で暮らしていましたが、
この街が好きな気持ちと、仕事でくじけそうになったことから、
就職2年目から地元郡山に転勤願を出して戻ってきました。
いま、26才の彼氏ナシ 夫ナシ 子供ナシ 結婚願望ナシ という身軽女です。

12月になり、あと何日かで2011年が終わろうとしています。
原稿を頼まれても、何を言葉にしていいか分からなくて、だいぶ時間が経ってしまいました。

あの地震が起きて
勤め先は1ヶ月間営業ができなくなり、その間、会社の同僚と近くの避難所に働きにいったり
南相馬ボランティアセンターに働きに行ったり
友達とShareBoxProjectという活動に協力して衣類を送ったり
家族で南相馬給食センターに大量のカレー粉送ったり
世間一般で言うところの支援活動を行ったりもしました。

3月中旬 避難所に働きに行っていた時の事です。
私は、あんな目にあった福島の沿岸に住んでいた人々のことを、出来事を、憂いでいました。

3月になったばかりの時の、あの出来事で子供達は、学校に登校できない、春休みの宿題もない
そんな状況だったので、勉強なんてやりたくないって言うかなーと思いながら、
小学生の子供達用に勉強テキストとノートを買い込んで持って行きました。

子供達がくる時間まで物資整理に行ってこようと思い、
毎日いっしょに働いていた高校生のボランティアスタッフに
「子供達がいやだって言っても『やろうよ~』って誘って勉強させて」と言づてをして、
その場を離れました。

子供達の集まる時間よりも、少し遅れて遊戯スペースに行くと、全員で勉強してました。
話を聞くと、テキストを見つけたら『あ!テキストあるじゃん!やろうやろう!』と自力でやり始めたと。
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2011年

12月

16日

Vol.9「福島原発の真実を読んで。」

将来のために、本を読み始めました。

 

最初に手にした本は、佐藤栄佐久著「福島原発の真実」

なぜこれかといえば、知っている人だから。

知り合いなわけではなくて、前の福島県知事。

御宅の前を通ったことはあるけど。

 

本の内容が本当に真実だとすれば、霞が関とは恐ろしいところだ。

自分たちの目的達成のためには手段を択ばない。

 

原発立地地域にはたくさんのお金が入っているというが、

これは麻薬と同じ働きをするようだ。

それが無くては生きていけないように。

そこに地元の意見なんて、無いんだな。

 

原発自体が、いい悪いでなくて、

それによって自分たちのしたいようにする、道具なのか。

 

本では、著者が知事になって以来の経験を時系列に追っているが、

私はそのすべての時間を福島県民として過ごしてきた。

確か小学生の時、学習旅行か何かで福島原発を訪れている。

安全安心の未来のエネルギーみたいなフレーズの説明を受けた気がする。

その時の説明を、大人になった今まで信じてきた。

というか、それ以上のことを考えたことがなかった。

 

原発の背景に何があるのかなんて。

 

一か月かかってこの本を読み終えたが、この内容が真実かどうかはわからない。

でも、いろいろと分かったことはある。

 

知事という立場は、県議会のいちばん上の人と思っていたが、間違い。

県職員のトップなのでした。

しかし、知事は選挙で変わることはあっても、

職員はずっと職員なのだけれど、

トップが変わって、県職員の向く方向が変わるというのには驚いた。

 

やっぱり、日ごろ新聞紙面で素通りしてしまうような、

国や県、市町村の動きに疑問を持つことは大事だ。

 

こんな状況になるまで、気がつかなかったけれど、

それが、日本の福島県の郡山市に住む者の責任なんだと思う。

 

見過ごしてきた物事にあとから文句を言っても、落胆してもしょうがない。

その時々、どうしようもないこともあるけれど、

自分たちの考えは、いつも持っていなければならない。

 

どの話が本当で、どの本が正しいか、

人のよってとらえ方は様々だと思う。

 

またこれからこの地で生きるものとして、

多くの人に会い、話を聞き、

多くの書籍を読み、知識を得て、

じぶんの考えを育てていきたい。

 

                            そらいち

 
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2011年

12月

15日

Vol.8「県民健康管理調査を書く」

2か月ほど前に届いた、福島県県民健康管理調査の問診票。
封を開けたまま、書棚にしまってありました。家族4人分。
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2011年

12月

13日

Vol.7 「叫ぼう、福島。」

私は生まれも育ちも福島県福島市の、根っからの福島の人。
ナカヤマ.と名乗るイベントクリエーターです。

震災後、自分たちに出来ることをして福島を盛り上げたいという気持ちから、

福島にご当地アイドルを結成し運営していこうというプロジェクトを展開している人間です。

そんな職業柄、可能な限り様々なニュースから情報を吸収しようと考えていて、

常に携帯片手にうーうー唸りながら色んなニュースを見たりしているのが日常です。

 

そんな中、怒涛の1年も年の瀬を迎え
『紅白出場アーティスト発表』
の見出しを見つけてニュースを読みました。

そこに書いてあった猪苗代湖ズの名前。

福島に住んでいたら絶対に耳にする
『I LOVE YOU BABY 福島』のフレーズ。

そこで感じた複雑な感情。

嬉しいという気持ちがまず最初にあった事は間違いありません。

福島から全国に発信していかないといけない事はたくさんあるし、
何より著名なアーティストの方がこういった大きな場で、

震災復興のテーマソングとも言うべき楽曲を披露してくださる機会がある事が有り難いと感じました。

ただ、2011年が終わってしまうという事実に、

恐怖に近い感情を抱いている自分に気づいたのです。

『復興』という言葉は2011年に最も多く使われた言葉の一つだと思いますが、

それが2011年の流行語であってはならないと感じています。

大晦日。
今年を締め括る日に、福島の為の楽曲を披露してくださる有り難さの反面に、

東日本大震災が『2011年のこと=過去のこと』として捉えられてしまったらどうしようという気持ちがあったんです。

『明日から何かが始まるよ。素敵なことだよ。』

この歌詞に込められた想いの通り、

2012年が『素敵なこと』で埋め尽くされるような年であれたら――

そう願うばかりです。

『復興』って言葉は流行語なんかじゃないんです。

福島がもっと福島を愛さなければいけないと、そう思う毎日です。


震災後、『自分に出来ることってなんだろう?』
そう考えた方は多いと思います。

ありきたりですが、
1日1日を本気で生きる事に答えのヒントがあるのではないか、
そう考えながら毎日を過ごしています。

3月11日
地震の後に突然、吹雪ましたよね。
『やべー、日本沈没しちゃうわー』って思った人は私だけじゃないはず。

大きな自然災害の前には為す術など無いと痛感した瞬間でした。

私たちは平和な国で暮らしている為、

明日死ぬ事は無いと考えてる人が90%を越えているんじゃないかと個人的に思っています。

あの日、震災で亡くなった方や津波の被害に合った方々の多くも、

3月10日まではそう思っていたんじゃないかなと思うんです。

だけどあの震災が発生してしまいました。

長らく考えた末に
『自分が信じた道を進んでいくしか出来ない』
という答えに行き着きました。

残念ながら、
震災前の、ありふれた日々が広がる福島ではなくなってしまったかも知れませんが、
私たちは一人一人が自分の決めた道を進んでいくしかないのだと思っています。

絶えず、福島から発信していかなければいけないんだと思います。

福島の事を悪く言う人も見てきましたし、
福島の人が福島を諦めてしまっているような姿を見ることもありました。

しかしそれでも、福島は絶えず発信していかなければならないんです。

善悪の境界線を越えたところで、

これから人類が選んでいかなければいけない道を考えていかなければいけない。

その発信源は今、福島にあるのだと思います。

幸か不幸か
日本人は大人しい民族です。

それが美徳と呼べる文化なのです。

しかし、『大人しい』ことと『黙っている』こととは別です。

少なくとも福島は
『黙っている』べきではない。
『黙っている』ことは
『黙認』していることと同じだと思うのです。

立ち上がる力が無い程、福島が弱いとなんて思っていません。

だからこそ、福島から叫び続けなければならないことは山ほどあると、
そう思います。

震災があるまでは
『何にも無い街だ』と思っていました。

しかし、今はこの福島を『何とかしなきゃいけない』

『忘れられた街にしてはいけない』と感じています。

悲しく、苦しく、辛いことは日々ありますが、
それでも福島から叫び続ける意志を持ち続けていきたいと、そう思います。

だってここが自分たちの故郷なんだから。

大事なものは全部ここにあるんだから。

最後に、

私は今福島に住んでいますが、福島から避難した方のことを批難するようなことは絶対にありません。

同じ福島の人間として、その決断は尊重されるべきものであり、それぞれの事情があると考えています。

福島人である事を忘れなければ、いつまでだって、どこにいたって福島人だと思います。

いつかなんの心配も無く福島で笑顔で暮らす事が出来る日が来ることを、心から祈っています。

ここは皆の福島なんです。

だからこそ立ち上がっていかなければいけない。

福島は絶対に負けない。

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2011年

12月

12日

Vol.6 「3.11からの「絆」」            

3月11日。

 

私は病院で就労支援を終え、

体調を崩し、真っ暗な静養室で寝ていた。

 

その時が来た。

携帯の地震速報が鳴り出し、揺れだした。

 

    【普通の地震だろう…】

 

と思い、布団を頭まで被り、揺れが収まるのを待とうとしたが、

揺れはだんだん酷くなり病院中から悲鳴が聞こえてきた。

 次の瞬間、ベットから振り落とされた。

 

本当にただ事ではないとようやく頭の中で理解できた。

 

スタッフが助けに来ない、パニックを起こしつつ、

這いつくばって、出口を探し、ようやく廊下に出た。

 

運よく、院長先生に見つけてもらい、

避難することができた。

 

病院はあちこちとヒビが入り、天井が抜けた病棟もあった。

 

私はパニック障害を起こしたものの、生き延びることができた。

 

 

地震直後、原発の爆発。

 

福島県は【原発】【放射能】のレッテルを貼られてしまい、

県外に行けば、車にいたずらをされたり、

指を刺されたりと差別を受けた。

 

 【同じ人間なのになぜ?同じ日本人なのになぜ?】

 

頭の中をグルグルまわった。

 

なら、自分たちが住んでる福島から今の福島を見てもらおう、

知ってもらおうと思っていたが、

ネットの日記だけでは限られた人しか読んでもらえない。

 

 『どうしたら今の福島をわかってもらえるだろか…。』

 

NHKでいつも見ていた青春リアル。

 

そこで『福島をずっと見ている』という企画が始まり、

≪福島リアル≫という活動があるということを知った。

 

そして私は、代表の関根さんに会いたくて会いたくて、

私は大胆な行動に出た。

 

その行動は友達から『普通は逆じゃん!!』

と突っ込みをもらったぐらい(笑)

 

LIVE福島風とロックSUPER野馬追の酔祭に参加する事が出来た。

 

そこに風とロックの仕掛け人?の箭内道彦さんが来ると聞いて、

ますます私の行動力は動き出した。

(宵祭りでもあったのでお酒の力もあったかもw)

 

宵祭の終わり、迎えを待つのに会場の外にいた。

そこに箭内さんが現れた!!

 

  『チャンスは今だ!今しかない!!』

 

思いっ切って箭内さんに声をかけた。

 

『いつもNHK見てます。』

『あの、私、関根さんにどうしても会いたいんです!!』

 

今思えば、ナンちゅう事を言っていたんだあたし・・・・と反省w

 

箭内さんは『会場内にまだNHKのスタッフいるから聞いてみたらどうだい?』

と優しく答えてくださり、会場を後にした。

 

その後、私も迎えが来てしまい

スタッフさんと会えず、そのまま帰宅してしまった。

 

せっかくの出逢いが・・・・と思いつつ、

同じ故郷を思っていればきっとどこかで出逢えるはずと思い、

私はLIVE福島の相馬会場に足を運んだ。

 

場所取りをし、あちこちのブースを見ていたらなんと、

NHKのスタッフさんに声をかけてもらった。

 

何たる偶然。何にも打ち合わせもしていないのに。

 

そこでまた言ってみた。

 

私:『福島リアルの関根さんに会いたいんですがどうしたらいいですか?』

 

スタッフ:『え、そこにいるよ・・・』

 

そこで初めて関根さんに出逢えました。

 

ただテレビでしか見たことないのになぜか涙が出てきた。

 

いろんなアーティストを生で見れる興奮。関根さんに逢えた感動。

 

頭の中、真っ白。もう、興奮しすぎて何話したか覚えていませんw

(ごめんなさい・・・ (´;ω;`)

 

でもそこから、友達の木の身が私の心の中に落ちて、根を張りだしました。

 

LIVE福島が終わり、いつもと変わったの日々を過ごし、

福島リアルでピクニックがあるということで参加させてもらいました。

 

毎日、放射能や余震の不安ばかりだったので、気分転換にいい機会。

 

参加者さんで子ずれのパパさんがいらっしゃいました。

 

久々に元気に外で走り回る子供たちを見て、

『福島は大丈夫、大丈夫。子供たちがこんなに元気だもん』

勇気つけられました。

 

おいしいお弁当を交換したり、思い思いの話をしたり、

初めて乗るゴンドラで絶叫したり、

五色沼では恋柄がある鯉を必死に探し、

今後の自分の恋を心配したりw

充実した日を過ごせました。

 

先日、友達の木から身が落ちたのが、その日から芽が出てきた。

 

先日のイベントから友達の木から身が落ち、数か月後。***

 

福島空港にボーイングが!!!!

 

で、福島リアルメンバーで

我が故郷に来てくださるお客様をお出迎えしようとなり、

前日から思い思いのお出迎えボードを書いて準備してきた。

 

でも、正直。私の中では不安だった・・・。

 

原発問題を抱えた福島に来てくれるのだろうか。

 

けれど、福島県民の私達が落ち込んでたら、

来てくださったお客様に大変申し訳ない気持ちでいっぱい。

 

なんなら、今のありのままの福島を見てもらおうと思った。

 

ボーイングが到着し、一番先に出てきたのはなんと箭内さん。

 

それから、笑顔でドンドン到着口から笑顔のお客様が来てくださり、

私の中の不安は一気に吹き飛んだ。

 

お客様を見送り終わり、空港内でLIVE福島の映像を見ることに。

 

『僕らは君たちの恋人になりに来た』

 

この言葉に何度涙し、

猪苗代湖ズのあの曲で心の底に隠していたものが

改めて出てきて号泣した。何度見てもいい。

 

新しいメンバーさんとも話したり楽しい時間を過ごした。

 

空港に戻ると、箭内さんのサイン会が始まっていた。

 

まさかとは思って、事前に公式本を準備して持っていた(笑)

 

ちゃっかり列に並び、箭内さんにサインしてもらってる間、

何話そうと考えていたが全く浮かんでこない。

 

いよいよ自分の番。

 

とっさに浮かんだのが、宵祭で箭内さんと

THE BACK HORNの松田さんが漫才した時に、

小物にとビールや水差しを差出した事。

 

その事をとっさに謝っていた自分がいました(笑)

もっと話す事はあったはずなのに、

本番に弱いなぁ、自分。

 

サイン会も終わり、

県内を楽しんできたお客様が空港に戻ってきました。

そう、もうボーイングで戻る時間。

 

出発ロビーで何かできることはないか考えた。

 

メンバーのみんなはボードに来てくれてありがとうの気持ちを書いていた。

 

私は余分なボードを用意していなかった。

 

ん~自分らしく、尚且つ福島の温かみが表現できるもの・・・・。

 

     『あ・・・・方言だ!!!』

 

小さい頃からばあちゃん子で育ち、専門学生時代には老人施設で実習を重ね、

方言で話す事で利用者さんと心の距離を縮める事の出来た、福島の方言。

 

方言で話すなんて恥なんてない。

 

    『まだ、きてくだっしょない!!まってぞい!!』

 

初めは笑われたが、自分でできる精一杯のやれること。

 

これで、福島の暖かさは一人ひとりのこころに届いたのだろうだろうか・・・・。

 

飛行機が行き来見えるデッキに移動し、

みんなで綺麗な星空の中に飛び立って行った

ボーイングを無事に見送る事が出来た。

 

滑走路にいた作業員さんや乗務員さんが、

デッキに向かって手を振ってくれたり、会釈をしてくれた。

 

そして、歓声。

 

デッキからはち切れんばかりの拍手でした。

 

それぞれの心に、友達の木の種は残っただろうか…。

 

その種が、時間がかかっても、

根が張り、実を付けたくさんの花が咲き、

また種が落ち、次の代へ行くことを私は願っている。

 

2011年

12月

09日

Vol.5 「正反対の答えをどっちも応援したい。」

―――*―――*―――*―――

10月初旬。

 

LIVE福島の余韻を残したまま、

東京にいる自分には何ができるのかを見い出せずに、

ちょっと焦っていたりもして。

 

思い切って福島リアルのコミュニティに参加させてもらった。

 

あの日から、いろいろ解ったことがあったと、

今すごく実感している。

 

これはあくまで東京在住の人間の感じたコト。

 

なので、福島で生活してるみんなと視点は違うと思うのだけど・・・

正直、あの日あの場でみんなの話を聞くまで、

やっぱり私の中にも、福島は危険な場所なんじゃないか?って

拭えない不安というか、疑問というか、そういうものがあったのは事実。

多分、未だにどうして避難しないのか?理解してない人が、

県外には多いんじゃないかと思う。

 

仕事や経済的な負担や、そういう生活に密着する問題を

解決するのは大変だからだろうって、

漠然とは頭ではわかっていても、

でも命には変えられないじゃないかっ・・・

って、3月・4月頃の考えから進んでないんだと思う。

 

私もそうだから、大きなこと言える立場じゃないんだけど、

東京にいると、放射線量のこととか、考えなくても生活できちゃってて。

 

心配だけど、TVやネットで見る専門家と言われる人たちの言葉だけが、

判断材料で、それ以上に深く調べたり、勉強するってことをしてない。

(もちろん、してる人もいるんだろうけど。周りにはいないかなぁ。)

 

だから、10月のコミュで「福島で生活してたって大丈夫だ」

という発言を聞いた時、その瞬間は正直、驚いた。

 

でも、話をいろいろ聞いてみて、

あぁ、みんなちゃんと自分で調べて、勉強して、

その上で自分で判断してるんだってわかったから、

そうやってココで生きてるんだなって、

あの場で初めて知って、納得できた。

 

そういう人もいる中で、まだまだ不安もあるし、本当に大丈夫なのか?

その狭間でまだまだ揺れている人がいるのも、当然だとも思った。

 

今の福島の実情って、外の人には想像し難いんだと思う。

というか、想像できてないんだと思う。

 

知るには、そこに行って、そこに住む人と話したり、繋がってみないと、

わからないコトが多過ぎる。

 

みんなが初めて遭遇したことだから。

 

そんなことに、私はやっと気付けた。

 

LIVE福島の時、「福島は安全だ」「福島は元気だ」ってことを伝えたいって

言葉にすごく違和感を感じてた。

 

「危険じゃないなんて言えない」そう思ってた私には、

なんでそんなコトが言えるのか?わからなかった。

 

でも、コミュに行ってから、ちょっとわかった気がした。

 

今は「元気だよ!遊びに来てね!」って、胸張って大声で言える。

 

だけど、私は結局東京に戻ってしまうから、

福島に住む人の気持ちを100%理解するのは、絶対無理なんだと思う。

 

でも、そこに住む人たちの気持ちがあってこその復興であり、支援だと、

絶対にそう思うから、「知りたい」って思う。

 

知らなきゃ、何もできないし、して欲しくないって思う。

 

その上で今思うのは、例えば友達2人が正反対の答えを出したとしても、

どちらが正解かなんて、わからない。

 

その人その人の立場によっても、出す答えは変わってくると思うし。

だから、私はどっちも応援したいって思う。

 

それは、とても軽々しく聞こえるかもしれないけど、

避難するもしないも、どっちも間違いじゃないって、本当にそう思えるから、

どっちも応援したい。

 

みんな、本気で向き合って出した答えを、そのまま実行できる環境が、

出来上がればいいな~って、漠然とだけど思ってる。

 

それを、内からも外からも応援しあえるそういう環境が。

 

そして、今の福島を沢山の人に知ってもらうってことは、

すごく重要なのだと思う。

 

実情を知らないから、理解ができないのだと思うから。

 

そういう意味でも、先日のボーイング787の企画はタイミング的にも、

重要な意味があった気がしてる。

 

自分に何ができるのか?

 

具体的なことは、まだまだ探している最中。

 

一個人ができることは本当に小さいけど、無力だなんて思ってない。

 

ただ福島へ行って、みんなと話して、実情を知るということが、

私にとっては重要であり、自分にできる何かを探す、大きな力になっている。

 

これからも繋がり続けていきたい。

 

私の故郷は福島しかないのだから。

 

―――*―――*―――*―――

2011年

12月

03日

Vol.4 「私の故郷は福島県」

私の故郷は福島県です。

 

毎年、旦那さん子供と一緒に、年に3~5回は福島へ帰ってます。

 

旦那さんは千葉県の人ですが、福島へ何度も行くうちに

福島が大好きになりました。

 

これは前回行ったときの写真です。(旦那と息子)

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2011年

12月

01日

Vol.3 「ピンチはチャンス!」

福島県いわき市に住んでいる者です。

 

いきなりですが、タイトルにあるとおり、

私はピンチャンと呼ばれています。

 

わかる人にはわかるあだ名なんですが、

ピンチャンとはピンチはチャンスの略でのあだ名です。

 

このあだ名を拝命されたのが、3年前。

 

自分には、???

 

全く合っていないあだ名と思っていましたが…

 

その後は本当に年配者と比べるのもおこがましいですが、

ピンチの連続でした。

 

ですが、それらをチャンスに変えて乗り切ってきたと思います。

 

危機管理は色んな場面で学ばされた気がします。

 

少々長い、ピンチはチャンスというあだ名で名乗っていたのは、

高校からなので約10年以上。

 

ピンチャンというあだ名がついてから今では本名より、

ピンチャンと呼ばれた方がしっくり来ています。

 

前置きが長くなりましたが、

今福島県が抱えている課題は“ピンチャン”なのだと思います。

 

実を言えば、私あの地震時は無職でした。

 

働き口を必死で探していたときの震災には

さすがに自分はどうなるのか?と萎えました。

 

ですが、そこからの巻き返しが凄かったです。

 

まずは、震災から1ヶ月しないうちに

短期のアルバイトが見つかり、働き出しました。

 

期間満了ですぐに終わりましたが、

間髪置かず次の職場も決まり、今があり…

いわき市のPR隊として忙しくさせていただいてもらっています。

 

来年3月までの期間限定での仕事ですが、

精一杯やります。

 

震災原発問題であまりにも福島県が失ったものは大きすぎたと思います。

 

ですが、ピンチャンという名は体を表すじゃないですが、こういう人間もいます。

 

気楽に考えられない…と思うかもしれませんが、

前を向いて進むと決してマイナスじゃないことも出てくると思います。

 

ピンチャン…福島の復興の合い言葉にいかがでしょうか?

 

そんな私も「福島リアル」に参加しています。

 

見かけたらピンチャン!とお声掛けを(笑)

 

まげねぇぞ、福島!!

 

2011年

11月

29日

Vol.2 「生きていこうという力が生み出すもの。」

実はつい最近知った事があります。

私に広島県出身で幼少期に原爆によって被爆経験した義理のおじさんがいて、

原発事故を心配し、妻の実家に電話をしてくれていたという事を。

電話でこんな事を話してた、というのを聞いたので印象深い言葉をお知らせします。


「心配な事もあるけど、毎日毎日生きていれば俺みたいにいつの間にか

歳をとっているかもしれないよ。

俺なんて小さい頃、被爆してるのに今も生きてるんだから。

先の事なんて誰にもわからないだろう?。心配すんな。」といった内容の電話でした。

私はその話を聞いてなんか不安な気持ちが楽になりました。


「毎日毎日を生きていれば.....」

私が想像する以上のすさまじい状況を経験しながら、

おじさんは毎日毎日生きてきたのでしょう。

そんな方が言う毎日毎日を生きるという言葉には重みを感じてしまいます。

どんな思いで生きてきたのでしょうね。


福島県は放射能がクローズアップされる機会が多いですが、

福島県民は津波によって大事な家族を亡くされた方、

住む家を失ってしまった方、仮設住宅に住んでいらっしゃる方、

県外に避難された方、県外避難を迷われている方、

県内で復興、再生にご尽力されている方などさまざまです。

 

それぞれが違う状況、思いで毎日毎日を生きているのだと思います。

ほんの何分、何時間でいろんなものを失ってしまった。

 

でも生きていこうという気持ち、その気持ちが生み出す力は共通だし、

失ってほしくない。というのが私の願いです。


私達家族は県内に住んでいますが、私も父親なので放射能の情報は正直、

気になりますし、放射能の健康的影響も否定しません。

 

ただ、せめて気持ちだけは放射能に汚染されたくないのです。

健康を第一に考えれば、自分の選択が良いのかどうかはわかりませんが、

この地で生きる為にはどうしたら良いのかを考え、行動していけたらと思っています。

(小学校、地域の除染活動には参加しました。)


精神論が放射能汚染を解決できるとまでは言えない。

でも、最初から放射能に気持ちが負けてたら減らす事もできない。


福島県の現状はすぐ解決する問題ではありませんし、

現実を受けとめなければならない事もあります。

 

何年かかるのか?放射能の影響は実際どうなの?など

不安要素はいろいろあります。

先が見えないのも現実。

 

でも、私は生きていこうという気持ちが生み出す力、

その可能性を信じて、毎日毎日生きていきたい。

 

繋がる事で増幅させたり、与えたり、与えられたり、

そんな生きていこうという気持ちが生み出す力を信じて。

 

先の事なんてわからないのであれば

逆に変える事も作る事も可能ですから。

 

おじさんの言葉を聞き、感じた、自分なりの思いも伝えさせていただきました。

 

これが今の私のリアルです。

 

2011年

11月

28日

Vol.1 「お米農家さんの気持ち」     

震災直後はそれこそ、ガソリン不足、品物不足、停電に断水。

 

原発も大変なことになっているのに、追い打ちかけるように
何度も余震がきて、先のことなんて考える余裕もなかったけど。

 

あれから8か月余り経った今は、

平日は普通に会社に行き、
休日は普通に遊びに行き、
震災前と同じように普通に買い物もできて、
表向きは普通の生活を送ることができるようになりました。

 

それでも、原発問題を抱えたままの福島県人としては、
未だ収束しない原発の報道や、放射能問題の話を耳にする度に
ふと考えてしまいます。


『福島って他県から見てどんな風に思われているんだろう?』


大震災のあの日を境に、

思いもよらぬ形で一躍有名になってしまった福島・・・。

 

自分を含め、そこに住む人たちが、今、

社会でどんな風に受け止められているのか?

 

被災地福島を支援しようというありがたい言葉が聞こえる一方で、
今の自分達の言動が「被害者ぶった無責任な行動だ」などと非難されたり、
事実そうなっていたりしないだろうかと考えてしまいます。


僕の実家は農家です。自分も両親の手伝いとは言え、米を作っている立場です。
福島の米とかその生産者に対する世間の声や思いが気になります。

原発事故の影響が懸念されましたが、今年も米を作り出荷しました。


行政でも安全を証明し、今年も無事、福島の米は店頭に並んだ訳ですが、
「福島で米を作って出荷する(流通させる)こと自体が無責任なことだ!」
などと、非難の声も多いんじゃないだろうか?と心配だったりします。


実際、ネット上では「汚染米流通させるな!」とか、
「福島の米は福島で消費しろ!」とか、かなり手厳しい意見も目にします。。。

 

震災だけじゃなく水害などにも見舞われながらも、
去年と変わらず稲穂を実らせ、今まで以上にきちんと検査して、
きちんと安全が確認された上で販売されるよう出荷しているんだから、
それだけで無責任なことなんて絶対無い筈だと僕は思います。

 

それでも、頭ごなしに非難されるかもとか、検査や安全性の判断は専門家に
任せていて、放射能に関して専門的知識を持っている訳じゃないことを考えると、、
今年米を出荷したことをあまり大きな声では言えない気分です。

 

こんな気分でコメ作りしなくちゃならないとかキツイし。


こういうことも早く元に戻って欲しいなと思う今日この頃です。

 

ところで、生活のいたるところで見掛けるようになった
「がんばっぺ福島」のスローガン。


今まで経験したこともない大災害に見舞われて、テンションダダ下がりの僕たちに
「みんなでがんばっぺ!」
「ふるさとふくしまを取り戻すべ!」
と復興の原動力をもらえるような気持ちです。

 

はじめ目にしたときは「っぺ」とか田舎もん丸出しじゃねー?とか思ったけど、
こーゆーのは地元の言葉が一番しっくりくるものなのかも知れないですね。

 

 

2011年

7月

31日

きっかけ「最終話」

また今朝、大きな地震がありました。
これ以上福島をイジメないで欲しい

涙
そんな心境の中、きっかけ最終話始めます。

この頃の私は、放射線にかなり神経質になっていて、マスクは必須、

手洗い・うがいや毎日の部屋の床掃除などをかなり気にして生活していました。


毎日お姉ちゃんと電話で話しては、郡山から避難するべきか悩んでいました。
本気で避難するなら、もっと今の状況を勉強しなくちゃ。

 
そう思って講習会などを聞きに行っていたところ、
とにかく子供がヤバイ、そんな情報がたくさん入ってきました。

 

私の友人のあの子の子は大丈夫なんだろうか。
あの子もどうなんだろう、たくさんの友人の子供たちの顔が頭に浮かんで、
みんなに教えてあげなくちゃって気持ちになっていた頃でした。


みんなどんな気持ちで子育てしているんだろう。
自分に子供がいたらどうしていただろう。
不安な情報なんか聞きたくないかもしれない。でも一緒に考えたい。

そんな中、先日のトークショーで知り合ったカメラマンの方から、
第一回、「福島をずっと見ているTV」が6月2日の深夜0時~0時25分から
始まるので良かったら見てくださいと連絡を頂きました。

 
なんだ~、この題名。すごくいい。
そうか、ずっと見ていくスタート地点に私ここで生きているんだ。


ちゃんと向き合わなければ、自分にできること。
今はひとりでもいいから避難する後押しになったらいい。
もし避難できなくても子どもを持つ友人と一緒になって悩んでいきたい。


それから私は、実際に人が避難に至るまでに、

どれだけ大変な葛藤を乗り越えなければならないのかを、嫌というほど知りました。

その後また、カメラマンさんから頂いたメール。
郡山駅近くの「ホルモン大豊・大町店」というところで、
箭内さんとメシを食べながら、いろんな人たちの話を聞こうと思っているので、
もし、お時間とタイミングが合えば、話をしに来ませんか?


その撮影の場所で私が発した「避難してもいいよと言ってほしい」と言う言葉。
自分の発言にも迷いを持ちながら、それでも福島県全体が

子供たちは避難させたほうがいいという空気になったら、

もうちょっとママさんの葛藤を消してあげれるかなと思う気持ちでした。

 

そんな私の気持ちを否定しなかった箭内さん。

いろんな意見を受け止めてくれた箭内さんの心の中はどんなだったんだろう。


充分に福島でLIVEイベントをやることに対して葛藤があったはずで、

それでもここでやると決意してくれたその気持ちに

水を差すようなことも言ってしまったかもしれません。


だけど、その私にここにいるメンバーで福島をどうしたいかを考えて俺に教えてほしい。
そう投げかけてくれた言葉が今となっては、すべてを変えてくれたように思います。

 

それから「福島リアル」はスタートしました。

 

 

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2011年

7月

20日

きっかけ「第二話」

第2話始めます。

私が福島で生きる道しるべが欲しかった理由。

それはここで生きて行って大丈夫なんだろうかという迷い。
そして、ここで生きていきたいという想い。
その両方でぐらぐらしていたからでした。

2回目の水素爆発の翌日、私は会社から関東圏内への避難指示を受けました。
会社から指示が出るなんてただ事ではないと思いました。

でも、同じ県内に住む家族のことを思うととても決断できませんでした。


うちの実家は、原発から60~70キロ地点で300頭余りの乳牛を飼育しています。
父が若い時、たった数頭の牛から私たちを大きく育ててくれました。

そして今から7年前、家を継ぐと決めた弟の為に、今の牛舎まで大きくしてくれました。

牛舎を建てるとき、家族みんなで木を運んだり木の皮を剥いだり、

辛かったけど家族の絆が深まった、今でも大切な思い出です。


そんな家族を残して自分だけ避難なんてできない。
迷いながらも会社にお願いして実家で待機させてもらうことにしました。


でも日増しに状況が悪化する原発の様子に不安で不安でたまらなくなりました。
トラックをいっぱい頼んで北海道に避難しようよって無茶なお願いをしたりしました。
そんな決断なんかできるはずもないんだけど。
工場が被災していたので、絞った牛乳は回収できず捨てたり配ったり。


実家にいれば忙しくて不安になっている暇がないといった感じでしたが、

一向に目途のたたない原発ニュースやガソリン不足は今思い出せば、

長い長い戦いの始まりでした。


このまま自宅待機をいつまでも続けていて復帰できるのだろうか、

今後の相談で会社に電話を入れたところ、暫くの間、

宇都宮で働くことを提案してくれました。


こんなに頑張ってる家族を置いて自分だけ離れる。


とても迷いましたが、忙しい中、ガソリンを探して来て「行け」と言ってくれた父。
本当にありがたかった。感謝の気持ちと申し訳ない気持ち。
自分も大変なくせに。毎日牛乳捨てたり引き取り先を探したり。
本当にごめんなさい。自分だけ逃げて。
本当に本当にごめんなさい。


私は、一度大好きな家族のもと、そして大好きな福島を離れました。

そして宇都宮のホテルで、牛乳の放射性物質基準値超えと

県内全ての出荷制限のニュースを聞いたのでした。


父の顔、母の顔、弟たちの顔が浮かんで実家に帰りたいと思いました。
私が帰っても何もできないのだけど、それでも近くにいたい。
私は2週間の避難生活の末、福島へと戻りました。


「今までどんな苦労も乗り越えて来たけど、放射能には勝てない」父の言葉。


今までお金がなくても希望はあった。
でも今は希望が見えない。

そんな日々の中で私は福島で生きる希望が、道しるべが欲しかった。
でも探せば探すほど希望なんか見つからなくて。
不安な情報ばっかりで。


背中を押してくれるのはあの猪苗代湖ズの「明日から何かが始まるよ、君のことだよ」
その何かをずっとずっと探して箭内さんのトークショーにつながったのでした。

                            3話につづく

2011年

7月

10日

きっかけ「第一話」

 

「福島リアル」結成までを3回に分けて

過去の出来事を振り返って記事にしたいと思います。

よろしくお願いします。

 

すべての始まりは5/21に行われた「郡山 うすいデパート」での

「福島物産展with箭内道彦氏トークショー」でした。

震災以来、世界的に有名になってしまったフクシマ。

不安と迷いの中で生活をしながら、毎日気持ちはぐちゃぐちゃでした。

 

こんな福島で箭内さんはどんな言葉を発してくれるんだろう。

自分の中の道しるべが欲しくてトークショーに出かけて行きました。

 

箭内さんを生で見るのは2回目。

最初に会ったのは4/23「郡山HIPSHOTで行われたTHE BACK HORNのライブ」

「福島の若者の顔が見たい」とチケットのもぎとりをしてくれてました。

 

猪苗代湖ズのチャリティーソングで名前を知った私は、

この人の福島に対する気持ちをもっともっと知りたいと思い始めていました。

 

トークショー当日は箭内さんの大ファンのあきえが、

会社の子と一番最前列を陣取ってくれていました。

何の予備知識もなかった私の箭内さんに対する最初のイメージは

いっぱい引き出しがある人。

何が出てくるかわからないものを持ってるって気がしました。

 

そして、箭内さんの言葉は、ずんずんと心の中に沁み込んでいきました。

トークショーの中で、「うすいの歌ってあるよね」ってことで、

観客から少しずつ歌詞を引き出して、じゃあみんなで歌おうってことになって。

ステージに呼ばれたのがあきえ。

「しゃれたセンスのうすい、おしゃれなうすい、幸せあふれたうすい、おしゃれなうすい、

幸せ売ってるデパート、みんなのデパート、デートはうすい、夢のデパート~♪」

あきえ、よく歌った。立派でした。

 

そして、トークショー後、カメラマンさんが私たちのもとへ。

「今日どうでしたか~」って聞かれて。

もうあきえは有頂天っていうか気が動転っていうか、言葉が言葉になってない(笑)

そんな訳で答えたのがわたしでした。

「毎日不安と迷いの中で生きてます」「実家も酪農家なんで不安です」

そんなようなことを言ったかと思います。

それがきっかけで、カメラマンさんから名刺を頂きました。

それが最初のきっかけです。

 

次回へ続く。。

2010年

7月

10日

きっかけ「第一話」

初めて日記を書くので、「福島リアル」結成までを3回に分けて

過去の出来事を振り返って記事にしたいと思います。

よろしくお願いします。


すべての始まりは5/21に行われた「郡山 うすいデパート」での

「福島物産展with箭内道彦氏トークショー」でした。

震災以来、世界的に有名になってしまったフクシマ。

不安と迷いの中で生活をしながら、毎日気持ちはぐちゃぐちゃでした。


こんな福島で箭内さんはどんな言葉を発してくれるんだろう。

自分の中の道しるべが欲しくてトークショーに出かけて行きました。


箭内さんを生で見るのは2回目。

最初に会ったのは4/23「郡山HIPSHOTで行われたTHE BACK HORNのライブ」

「福島の若者の顔が見たい」とチケットのもぎとりをしてくれてました。


猪苗代湖ズのチャリティーソングで名前を知った私は、

この人の福島に対する気持ちをもっともっと知りたいと思い始めていました。


トークショー当日は箭内さんの大ファンのあきえが、

会社の子と一番最前列を陣取ってくれていました。

何の予備知識もなかった私の箭内さんに対する最初のイメージは
いっぱい引き出しがある人。


何が出てくるかわからないものを持ってるって気がしました。

そして、箭内さんの言葉は、ずんずんと心の中に沁み込んでいきました。

トークショーの中で、「うすいの歌ってあるよね」ってことで、

観客から少しずつ歌詞を引き出して、じゃあみんなで歌おうってことになって。

ステージに呼ばれたのがあきえ。

「しゃれたセンスのうすい、おしゃれなうすい、幸せあふれたうすい、おしゃれなうすい、幸せ売ってるデパート、みんなのデパート、デートはうすい、夢のデパート~♪」

あきえ、よく歌った。立派でした。


そして、トークショー後、カメラマンさんが私たちのもとへ。

「今日どうでしたか~」って聞かれて。

もうあきえは有頂天っていうか気が動転っていうか、言葉が言葉になってない(笑)

そんな訳で答えたのがわたしでした。

「毎日不安と迷いの中で生きてます」「実家も酪農家なんで不安です」

そんなようなことを言ったかと思います。

それがきっかけで、カメラマンさんから名刺を頂きました。

それが最初のきっかけです。


次回へ続く。。

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