Vol.22 「ある郡山市民の3.11(その1)」

ある郡山市民の福島をずっと見てほしいブログを、

5回に分けて紹介します。


Vol.22 ある郡山市民の3.11(その1)

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あの日から1年…という事で、

震災当初の自分が見た状況を思い出しながら書いてみようと思います。

ただ、記憶が曖昧で時空列がおかしくなっているところも


あると思うのでご容赦下さい。

  

 

自分が被災したのは会社の駐車場。

遅出出勤の為、2時間遅れの昼休みを車内で過ごしていた時の事だった。

カーナビでTVを見ながらぼけ~としていると1446分に地震が発生。

 

すぐ収まるだろう…と思ったら徐々に揺れが大きくなっていき、

(車内も)激しい揺れに襲われたので急いで車の外へ逃げた。

 

職場に向かおうとすると、「こっちへ来るな!!」と上司の声が…

視線を向けると窓ガラスどころか建物自体も激しく揺れ、

中から従業員が飛び出してきた。

 

周囲は地響きと建物自体の揺れから来る

いつもは聞いたことのない音と女子社員の悲鳴が上がり、
あまりにも想像を超えた状況に恐怖と言うよりはただ笑うしかなかった。

 

何かの機械の上に乗っている様に大きく地面が横揺れしているし…

ガキんちょの頃に宮城沖地震も日本海中部地震も体験しているが

このスライド感(!?)は今までにないものだった。

 

2分近く(!?)続いた本震が収まり、ようやく皆の所へ向かう。

少し同僚と話した後、職場の被害確認の為建物に入るのだが、

頻繁に余震が起き、激しい揺れが来るたびに作業を中断し外へ逃げる。

 

今思えばあの揺れによく耐えたなぁ…と。

ボロっちい建物なのに(´・ω・`)

 

設備の配管が所々壊れて水漏れを起こし、

(地震発生時)作業中だったため、


機械に投入した製品が全てダメになってしまった。

 

機械そのものは手動で動かせるので、

ダメになった製品を水洗槽へ全部移動させて

(従業員の家族の事もあるだろうし)
今日はこの時点で全員帰宅し、明日復旧作業をしようと言う話に。

 

1人で留守番している祖母の身が心配だったが、

携帯から連絡しようと思っても電話が全く通じない…

働いている母も連絡が全く取れず…不安ばかりが付きまとう。

 

17時頃、皆が続々と帰宅していく中、

自分は残った同僚達と携帯のワンセグでニュースを見ていると、
仙台空港と仙台平野が津波に飲まれていく映像を見て絶句…

 

「今まで想像もしていなかった事が現実に起きている…」

 

この時、「バカみたいな揺れと津波が来たけど、原発は大丈夫…だよな…?」

と思いが頭の中を過ぎる。

しかし、その危惧は数時間後に現実の物となるとは

自分も他の人間もこの時点で誰一人思ってもいなかった…。

 

17時ぐらいになると渋滞も解消されたのか、比較的余裕帰宅出来た。

一番不安だった祖母や母の方は怪我も無く一安心。

 

しかし、部屋の中は倒れた家具と崩れた壁で直視できない状態だったし、

風呂場は天井や側面のタイルが全て剥がれ落ちていた。

 

2階の自分の部屋もTVとタンスが倒れPS3とノートPCはその下敷きに…

(幸いな事に両方壊れずに使用可能でした。)

 

ライフラインに関して、電気水道は何ともなかったが、

ガスボンベが斜めに傾いてしまった為にガスが使用不可能になる。

 

取り合えずTVで今回の地震の被害の大きさを思い直しながら

3人で周囲に飛び散ったガラスと食器の片付けをする。

 

19時頃、政府が東京電力福島第一・第二原子力発電所の緊急事態を宣言。

 

まさか…と思っていた事が現実のものとなり、

5分おきに来る余震に加え見えない放射能に怯えながら12日を迎える事に。



お風呂にも入れず、満足に眠れる状態でもなかったけど、

今思えば良くあの状況を乗り越えられたと思う….

 

【(その2)へ続く】

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