Vol.22 「ある郡山市民の3.11(その2)」

ある郡山市民の福島をずっと見てほしいブログ。


Vol.22 ある郡山市民の3.11(その2

 

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312日朝、度重なる余震と今後の不安もあって


2時間ちょいしか眠れぬまま起床。



お風呂に入っていないので髪はボサボサ、

体もベタつくし…最悪の目覚めと言ったところか。



午前7時、車に乗り込んで会社へ向かう。


昨日は夕暮れの為、暗くて良くわからなかったけど、

道路の所々に陥没や歪みの跡が見られ、

今回の地震の揺れの大きさを改めて思い知らされる。



午前7時半、会社に到着。復旧作業の前に、

会社側から放射能対策(!?)としてマスクを支給されたけど、


これだけで放射性物質を防ぐ事が出来るのか?


しかも窓も全開だし…作業前から激しく不安…(;´Д`)



12日の作業内容は地震で倒れてしまった装置を

元の位置まで戻したり、周囲の清掃等の雑用がメイン。



この時点では断水の為、水道がまだ使えなかったので、

本格的な復旧作業は出来なかった。 



1536分にふくいち(東京電力福島第一原発)一号機にて


1回目の水素爆発が起こる。



この時、FCT(福島中央テレビ)のライブカメラが

ふくいちの立屋が爆発する映像をリアルタイムで見た様な気がする。

*補足:見た様な気がする…ッテナンデヤネン┌(`Д´))゜∀゜)


ってツッコミが来るのは重々承知なのですが、

歳なのかそこの記憶がもうぼやけて…



俺は家でその映像を見た気がするのですが…

ごまかしもいけないと思ったので敢えてこの表現にしてみました。



この水素爆発の映像を見て、

自分も正直「もう福島は完全に終わった」と思ったし、

いつ国や県から避難命令が来てもイイ様、

貴重品や変えの衣服・下着等…を枕元に常時置く事に。


(当時は生き残る事に必死でしたから、

当然県外への避難も選択肢にありました。)



母親(当時59歳)と祖母(当時81歳)は

30年後なんて、年齢的に自分達はこの世にいないのだから、

別に放射能で被曝しても構わない(ガンになる前に亡くなっているから)」

「生まれ育った郡山から離れる事は出来ない、避難しろと言われても残る」



アンタらそれでイイかも知れない、けど、

俺はまだ30年以上生きなければならないんだよ?

俺は絶対にガンなんかで死にたくもないし、

生き残りたいし、出来れば今すぐ福島から避難したい…


今思えば絶望的な感情が自分の周りを支配していたと思います。


考えれば放射脳予備軍…って所か(!?)


【(その3へ)続く】

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