Vol.22 「ある郡山市民の3.11(その3)」

ある郡山市民の福島をずっと見てほしいブログ。


Vol.22 ある郡山市民の3.11(その3

 

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ふくいちの水素爆発の映像が頭から離れず、

この時点で完全な放射能コワイコワイ病(放射脳)だった自分。

 

 

相談できる相手が居ないし

(家族は放射能に関して無知で、

同僚や職場の上司は放射能の話題に触れないし)

皆それぞれ不安だったと思うけど、

当時は自分だけが取り残されていた感じで…

今思えばあの時ほど孤独を感じたことは無かった。



15日(だったと思う…)会社から約1週間の自宅待機命令が出る。

上司曰く「この先(原発が)どうなるかわからないから取り敢えず待機しろと。」



この時が一番ふくいちが危険な状態だったのかな…

県民健康調査票に一緒に付いていたカレンダーで見る限り(;´Д`)



2号機で爆発音、4号機の外壁破損確認及び火災発生、

原発から半径2030km圏内屋内退避指示…)



今、自分の目には見えないけど確実に原子炉由来の放射能があって、

その放射能で将来どんな影響が出るのか全くわからない。



そんな不安もあり、自宅待機中の1週間、

家の中でもマスクを付け極力外には出ない様にしたし、

オカンとばあちゃんが窓を開けっ放しにしただけで

「何開けっ放しにしてるんだ!!」と激怒。



一番酷かった時は自分以外の2人がゴミの片付けなり、

スーパーへの買出しに出かけたり…と用事をこなしているのに

コタツから一歩も動かなかった事も。



また、例年この時期は軒先に干し柿を吊るしたり、

庭ではネギを栽培していたんだけど、


ふくいち立屋からの水素爆発で飛散した放射性物質が

どれだけ付着しているのかも不明だったので、

祖母が庭先から家に持ち込もうとするなり

「何持ち込んでるんだ!」と激怒したり…



食事に関しても、当時は郡山でも微量ではあるものの、

放射性セシウムやヨウ素が水道水から検出されていたので、


味噌汁を飲むたび、ご飯を食べるたびに

「内部被曝への恐怖」が脳裏をよぎる。



今だと

「…はぁ?お前何を言ってるんだ?

人間は原発が出来る以前から食べ物経由で

放射性物質を取り込んでるんだよバーカwwwm9(^Д^)プギャーwww

 

 と一蹴する内容でも、当時の俺は

放射能コワイコワイ病から来るヒステリーで

(精神的に)1ベクレルすら体内に入れたくなかった。

 

 

 【(その4へ)続く】

 
 
 
 

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